食べ過ぎ、飲みすぎによる私のぷっくりお腹は、鏡を見る度に反省できます。しかし、集団や国レベルの怠りは複雑です。マングローブ林の減少や、多額の赤字国債を子孫へ押し付けることなど、罪の意識を感じにくいことが多いのです。イエス様をお迎えする前に、意識して反省することが必要だと思うのです。
司祭のお許しを得て、ご聖体と御血を拝領した時のことが忘れられません。司祭が私の目をじっと見つめながら「あなたのために与えられた主イエス・キリストの体です」「あなたのために流された主イエス・キリストの血です」と、力強く言われたのです。「私のせいだ」と突きつけられて、申し訳ない気持ちと、神様の愛に包まれている幸せな気持ちで、いっぱいになりました。
時には、違う宗派や、異なる宗教の礼拝に触れてみるのも、いいものです!