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悔い改める

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

人間は誰でも失敗をすることがある。グラスを落として割ってしまったり、電車の中に傘を置き忘れたりする。些細な過失は、それほど責められることはないが、心得違いによる失敗は、少し深刻な問題を生むかもしれない。

或る団体の役員をしている男性と話をしていた時のこと。長く仕事をされて、もうじき80歳になろうという方だったが、こんな発言をされたのである。「女性が2人いる時に、1人をほめたら、それはもうセクハラになるんだってね。やりにくいねえ。嫌な世の中になったものだ」。確かにこの方が若い頃は、ハラスメントという概念はなかっただろう。だが礼儀や思いやりは、人が心得ておくべきものとして、昔から社会にあったのではないだろうか。女性が何人かいる中で、1人だけを綺麗な人とほめたら、他の女性たちは醜いと見なされたようで不快な気持ちになるだろう。容姿で選別をされたと感じてしまう。そんな気持ちにさせないのが、思いやりであり礼儀ではないだろうか。

この役員の男性が今まで、言われた者の気持ちに無頓着に生きて来られたのだとしたら、今は、その方向を変えるよい機会なのではないかと思われる。「やりにくい嫌な世の中」ではなく、「人を傷つけない思いやりを持てば、自分にも思いやりが返ってくる世の中」と考えて頂ければ幸いに思う。

私たちが読んできた聖書には「悔い改める」という言葉があった。この言葉の本来の意味は「考え方を変え、顔を神の方へ向けて、正しい道に立ち帰る」ことである。日ごと新しい1日は訪れる。私たちも日々新しく生まれたい。朝の陽のような永遠の存在に顔を向けて。