そしてそのクラスの学年末やプロジェクトの打ち上げの時に、誰が誰を支えていたのかを発表する。「やっぱりあなただったのね。わかっていたよ」というのから「どこを支えていてくれたの?」と全く気づかれないものも出てくる。そういわれてはじめて「そういえばあの時・・・」というように気づかせるのが一番上手なシークレット・フレンドということになる。それ以降その二人は、シークレットではない友だちになることはいうまでもない。自分が支えた人と自分が支えられた人の2人の友人を同時に作ることができるというわけだ。
誰かが誰かを支えあっているという関係を作り出せたら、その集団の団結力はいやおうなくたかまっていく。自分がシークレットフレンドであることをはぐらかすために、わざと別の人を支えたりすることが生まれてもいい。
1対1ではなく、1対多数あるいは多数対多数でもいいだろう。多数であればあるほど、最後の発表の時の感激は薄れるかもしれないが、考えてみたらすべての人が、すべての人の、シークレットフレンドになれたら最高であると思う。