50年余り前、父が召された時、母は悲しい中でも一抹の光を見つけたような表情で言った。 「父ちゃんがさ、終油の秘蹟ば授けてもらった時に、松下神父さまが『よく捧...
50年余り前、父が召された時、母は悲しい中でも一抹の光を見つけたような表情で言った。 「父ちゃんがさ、終油の秘蹟ば授けてもらった時に、松下神父さまが『よく捧...
幼少の頃から聖家族の話は父母から、神父さまから、教え方さまから聞かされて成長した。 2千年前の人たちのことなのに、五島の大人たちの「語り」はとても現実的で、...
30数年前、五島の母が入院したので見舞いに帰った。 母はふたり部屋にいた。 同室のお婆さんはとても小柄で、ベッドに座って静かに祈りを捧げていた。 横から...
神さまはいつでもどこでも私たちの心に住まわれているのに、私たちは気付かずに過ごしていることが多い。あとから考えると、あっ、あの時、神さまが呼びかけてくださった...
30数年前、「心はみえるんよ」というノンフィクションを書き、刊行していただいた。 初老の全盲の女性マッサージ師の先生と知的障害を持つ年下女性との同居生活の記...
ふれあいというテーマを考えた時、まっさきに思い出す人がいる。 もう天国へ旅立たれたシスターNである。 初めてお会いしたのは、もう30年近く前。 その時、...
1945年10月、戦地から帰って来た父は放心状態で先のことは考えられなかった。 戦地の惨状がよみがえり、夜中にもうなされて飛び起きる日が続いた。 母は父の...
私の生家へやってくる人たちは、開口一番、「こん家に来たら、生き返ったごとある」というのが常であった。つまり「いごこち」がいいというのである。 父母は誰がやっ...
私がまだ五島にいた小・中学生の頃、カトリックではない友だちによく言われたことがある。 「美沙ちゃんの信じちょる神さまは、私どんからすれば、おとろしか(恐い)...
若い頃には生きがいについて原稿を求められると、その時々で、様々なことを書いた。 原稿を書くこと、本を読むこと、気の合った友人とおしゃべりすること、飼い猫と遊...