

「受けとめる」というテーマに一番ふさわしい方々は聖家族だと思う。
マリアさまはうら若い身で、天使より受胎告知を受け、その場で「仰せの如く我になれかし」と即答された。
私なら「とんでもございません」などと、まずお断りするだろう。
とてもではないがすぐに受けとめることなどできないであろう。
しかし、マリアさまは神さまからの命であるならと無条件で受けとめられた。
婚約者であったヨせフさまは未婚のマリアさまがみごもったことを知り、天地がひっくり返るぐらいの驚きと苦しみであっただろうと想像される。
実際、ヨセフさまは相当苦しまれたが、天使の出現により、マリアさまのご胎内の御子様が聖霊にて宿ったことを告げられ、それをすぐに受けとめられた。
マリアさまもヨセフさまも信仰の厚い方であったから、神さまのなさることであれば、全て受けとめなければいけないと自分に言い聞かせたのであろうと思われる。
イエスさまは、ご自分が十字架にかけられていた時に、一緒に十字架にかけられていた罪人の一人に「おまえはメシアではないか、自分とおれたちを救ってみろ」と罵られた。するともう一人の罪人がこれをたしなめて「おまえは同じ刑罰を受けていながら、まだ神を恐れないのか、我々は自分のやったことの報いを受けるのだから当たり前だが、この方は何も悪いことはなさっていないのだから」と言い、イエスさまに向かって「あなたが王権をもって来られる時に、どうかわたしを思い出してください」と言った。
イエスさまはその罪人をすぐに受けとめて「あなたは私と共に楽園にいる」と言われた。(参:ルカ3・29~43)
聖家族はいかなる時も私たちを受けとめてくださる。