それでも感謝

三宮 麻由子

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どんなことにも感謝しなさい。正しい教えです。

しかしイエスでさえ、「神様、この十字架刑をありがとう」とはいわず、「どうして僕を見捨てたんですか」と言ったのです。

私は、このように試練のつらさを素直に認める気持ちはむしろ大切だと思います。

たとえば視力を失ったことを感謝しているかと問われれば、特にしていないというのが正直な答えです。見えないことの不便はもちろん、交通弱者として見える人より多くの危険に毎日出会うし、社会のマイノリティとして屈辱を受けることも数え切れません。

では、人生を恨み、神を恨んでいるのでしょうか。

実は、まったく違います。

視力がないことを通じて授かったギフトに対しては、強く感謝しているからです。

人の冷たさを知ったうえで感じる暖かさに触れたとき、順当な運命のなかではまず得られない感動が与えられます。見えていれば気にも留めなかったかもしれない美しい音、小鳥との出会い、音楽の演奏、言葉への思い。それらはすべて、視力がなかったからこそ得られた賜物でした。弱い立場から物事を見る姿勢も、この環境でこそ得られたスキルだと思います。

この段階に到達して初めて、私は見えない環境を生かせたといえます。ここでようやく、私はこの試練に感謝の種を見つけることができたのでした。

試練はつらいものですが、それ自体はニュートラルなものではないかと私は思っています。人生は、試練への対応次第で良い方向にも悪い方向にも進む可能性があるからです。

どうしてもつらいとき、すぐに無理して感謝することはないと思います。感謝できるまで時間をかけて取り組めばいいのです。試練を試練のままで終わらせず、感謝の種にしてしまおうと思えば、道はいつか開ける。私はそう信じています。

選択する

湯川 千恵子

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私たちの日常は常に選択を迫られています。身近な食生活でも、満ち溢れる食べ物の中から何を選んで食べるか・・・。食欲に任せて好きなものばかり満腹していると栄養的にも偏って成人病になってしまうでしょう。正しい栄養の知識を持ってバランス良く食べることは健康維持にも大切です。

人生もそれぞれで苦難は付きものですが、それをどう受け止めて生きるかは自分で選択できます。聖書に次のような言葉があります。『見よ、私は今日、「いのちと幸い」、「死と災い」をあなたの前に置く』。(申命紀30・15) 

「いのちと幸い」は愛の道.自我を捨て、人のために尽くす生き方です。愛のあるところには必ず豊かな実りと幸せがもたらされるでしょう。反対に、この世の富や権力を追い求めて自分のためにだけ生きる人の終着点は虚しい死です。欲望には限りがなく災いの元だからです。この対照的な2つの道を示して、「自由に選べ」というわけです。 自分の人生を「いのちと幸せ」に導くか、「死と災い」に貶めるか、つまり、自分のいのちを生かすも殺すもあなたの選択次第というわけです。この自由選択の意味は深く、しかも現実です。私たちはもっと真剣にこのことを考えなくてはならないと思います。

 

さて、私も4人の子育てを終えて天国の夫との気軽な一人暮らしですが、このことを心に留めて「いのちと幸せ」への道を歩みたいと切望しています。それには「虚栄心を捨てて謙虚に」、「シンプルに、いつも明るく」、「人には優しく、丁寧に」、そして「いつも心を天に向けて祈る」などを心がけなくては・・・と思います。それが少しでも出来た時、現状はどうであれ、心が落ち着いて、「今、満ち足りて幸せ!」という感謝の気持ちになれて嬉しいのです。


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