では、人生を恨み、神を恨んでいるのでしょうか。
実は、まったく違います。
視力がないことを通じて授かったギフトに対しては、強く感謝しているからです。
人の冷たさを知ったうえで感じる暖かさに触れたとき、順当な運命のなかではまず得られない感動が与えられます。見えていれば気にも留めなかったかもしれない美しい音、小鳥との出会い、音楽の演奏、言葉への思い。それらはすべて、視力がなかったからこそ得られた賜物でした。弱い立場から物事を見る姿勢も、この環境でこそ得られたスキルだと思います。
この段階に到達して初めて、私は見えない環境を生かせたといえます。ここでようやく、私はこの試練に感謝の種を見つけることができたのでした。
試練はつらいものですが、それ自体はニュートラルなものではないかと私は思っています。人生は、試練への対応次第で良い方向にも悪い方向にも進む可能性があるからです。
どうしてもつらいとき、すぐに無理して感謝することはないと思います。感謝できるまで時間をかけて取り組めばいいのです。試練を試練のままで終わらせず、感謝の種にしてしまおうと思えば、道はいつか開ける。私はそう信じています。