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評価する

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

子どもたちに関する出来事は、身近な身の回りにおいても、全国的に見ても、あちらこちらに存在します。すべてが、希望に満ちた嬉しいことであればいいのですが、必ずしもそれだけとはいえません。

先頃話題になった、大阪市の学校法人の問題をいかに評価すればいいのでしょうか。現実的に、問題の主役は子どもたちでしょう。事の成り行きによってその結果を蒙るのは、幼児、生徒たちだからです。

そもそも「評価する」という言葉は、どのような時に使われるのでしょうか。先程の問題について「いかに評価すればいいのでしょうか」と申し上げましたが、わたしの印象としては、どうも善か悪かの識別をするという印象を受けます。

本来はそうではないような気がしてなりません。つまり、物事が「存在する」こと自体は価値があるわけです。それらを利用する時に評価が分かれてくるのではないかと思うのです。そのものの本来の役割にそった利用の仕方をするときに、最高の価値が出てきます。

包丁は料理するためであって、喧嘩をするためではありません。

日常の中で、評価するとは、よいもの同士の中で、さらに良いものを選択することをいうのではないでしょうか。

学校、会社でいう評価はいかがでしょうか。わたしたちの発想の中に、より善いものを発見する心と思いがある限り、マイナス評価は避けたいものです。否、「マイナス」に評価という言葉は使えないのかもしれません。

いずれにせよ、人のいく道に多大な影響を与えるかもしれない、「評価する」ことに、もっと慎重になりたいものです。特に、未来に大きく開かれている子どもたちへの評価は、重要です。みな、等しく神に似せて創られているのですから。