繰り返し

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

「やればできる。頑張れ」と、子どもの頃、学校の先生からよく言われた。確かに、頑張れば、自分にできるところまではできるようになる。頑張らなければ、できるはずのことさえできないまま終わってしまうから、頑張るのはやはり大切なことだ。「やればできる」という先生の励ましには感謝している。

だが残念ながら、頑張れば何でもできるようになるという訳ではない、というのも大人になるにつれて学んだ厳しい事実だ。頑張れば誰でもサッカー選手になったり、作家や歌手になったりできるわけではない。頑張ってもどうしても越えられない一線というものが、確かにあるようだ。

頑張ればできると信じて挑戦し、成功してさらに上を目指す。頑張ればできると信じて挑戦し、失敗して自分の限界を知る。そんなことを何度も繰り返すうちに、わたしたちは自分に何ができて、何ができないかを知ってゆく。神様から自分に与えられた役割を知る、と言ってもいいだろう。自分の役割は時代を作るようなスーパースターではなく、時代の片隅で歌い続ける歌手だった。自分の役割は、歌手ではなくボイス・トレーナーとして歌手になりたい若者たちを助けることだった。挑戦を繰り返す中で、わたしたちは誰もがそれぞれの役割を見つけてゆく。それが、成長するということ。大人になるということなのだろう。

挑戦しなければ、自分に何ができて、何ができないのかいつまでも分からない。失敗を恐れずに挑戦する。それが何より大切だ。そして、挑戦を繰り返す中で、いつか自分にできることと、できないことの見極めがついたなら、それを神様から自分に与えられた役割として喜んで受け入れる勇気を持ちたいと思う。

繰り返し

阿南 孝也

今日の心の糧イメージ

先日新幹線で、若い僧侶の方と隣り合い、話を伺う機会に恵まれました。かねてより関心のあった托鉢について、尋ねてみました。

「お~お~と聞こえるのですが、何と言っておられるのですか?

「法雨です。仏教の真理である『法』が、『雨』のようにすべての人に降り注いでいるという教えなのです」これを聞いて、私は思わず「聖書にも『父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる』(マタイ5・45)というイエスの言葉があります。似ていると思われませんか?」とお尋ねすると、「本当ですね」とほほ笑んでくださいました。

そうなのです。仏教でもキリスト教でも、仏や神は、無条件で恵みを与え続けてくださる方であると教えています。神は世界を創造され、人間をご自身にかたどって作ってくださいました。「それは極めて良かった」と聖書は伝えています。(創世記1・31)しかし、人間は罪を犯し神から離れてしまいました。心を痛められた神は、預言者を送り、神に立ち返るよう、幾度となく促されましたが、人々は聞く耳を持とうとはしませんでした。そこで神は、ご自身が人となって、人間の争い、憎しみの中に身を置いて、私たちに語られ、人類を救おうと計画されたのです。

私たちが、神のこの忍耐強く愛に満ちたメッセージに心を開き、物の豊かさではなく、真の豊かさを求めて生きていくことができますように。神が愛し抜いておられる世界中の人、特に、「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」(マタイ25・40)とまで言ってくださった弱い立場に置かれた方々に対して、もっと関心を寄せて、共に生きていくことができますように、祈りたいと思います。


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