それからも、様子を見ながら、水をやり続けていますと、葉っぱはみるみる大きくなり、ついには、枯れ枝と思っていたところに、小さなつぼみを幾つかつけ始めました。
昨年の夏の終わりには、小さな花が7つ並んで咲いてくれました。あまりにもかわいい花なので、教会入口の受付に置いてもらいました。花の持ちも良く、数週間は美しくてかわいい花を楽しむことができました。
今はまだ、この鉢は葉っぱだけになっています。それでも、昨年美しくてかわいい花を目にした私は、繰り返し、繰り返し、様子を見ながら水をやり続けています。この鉢は単に葉っぱだけの鉢ではないことを知ってしまったからです。
繰り返し何かを行う、ということは、時に、退屈さを生み、かすかな希望をもそいでいきます。それでも、繰り返し続ける、ということは、決して無駄なことではないことを、この花は教えてくれたのだと思います。
もしかすると、この世の中には、無駄なことは何一つないのかもしれません。