ところが、今度は、確かに汚いのですが、そうではなかったのです。自分にも、人に言いたくないような嫌なところがあるのだということをわかっているからでしょうか、なんだかあの男が嫌ではなかったのです。ほとんど原作に忠実に描いていて、とてもいい映画だと思いましたし、日本についても、実によく愛情を持って描いている監督だと感銘を受け、遠藤さんは良い作品を残されたと改めて思ったのです。監督は、本当にあの作品を、そして、日本のキリシタンを大切に思っておられるのだと思いました。
考えてみれば、かくれキリシタンという方たちは、皆、あのような方たちの子孫でしょう。一方で、あの有名な日本信徒再発見という出来事、長崎の大浦天主堂で「マリア様の御像はどこ?」と名乗り出てきた人たちも、そうして、だいじに、だいじに、信仰をまもり続けてきたのだと思うのです。なんということでしょうか。
昔、あの小説を書かれた頃に、遠藤さんがどこかでお話をなさったときに、後で女学生が「私は澤野忠庵の子孫です」と名乗ってこられたと聞いたことがあります。あのフェレイラです。遠藤さんはどんなに驚き、そして感動されたことでしょうか。