あの頃はそれを全部手作業でしていた。4人くらいで4万5千部の本を作る。たとえば6ページの新聞の場合には、2つ折りに折ったものの中に、数を数えながら1枚の紙を挿入し、それが2百50部ずつまとまったら、そろえて区切って重ねていく。それを1万回以上繰り返す単調な作業である。
この単調な繰り返し作業の間、頭の中は何を感じ何を考えているのだろうか? つまりどのような状態なのか?
まず気づくことは、この間、体は拘束されて自由をもっていないが、頭のなかは結構自由であるということ。あれこれと思いをめぐらし、想像力が思いのままに世界を描き出す。この世界に入り込めるならば、時間はあっというまに過ぎ去る。
しかし、時間は意地悪い。この時間をつらい時間ととらえ、早く過ぎ去ってほしいと思えば思うほど、実は時間は遅く長くなる。逆にこの時間がいつまでもここにとどまってほしいと思えば思うほど、時間は速くなる。時間は意識すればするほど長く、忘れれば忘れるほどに短く速く感じる。無我夢中の時間はあっというまに過ぎ去るのである。
祈りと労働は親和性が高い。中世のはじめのころ、ベネディクトが修道院を作ったときのモットーが「祈り働け」であったのは、こういうことだったのだと思った。