わたしが人生の重要な岐路に立ったのは、18歳で旧制の中学校、そして新制高校を卒業した時でした。両親も亡く、実家も敗戦後の困窮の中で必死になっていたので、10人兄...
わたしが人生の重要な岐路に立ったのは、18歳で旧制の中学校、そして新制高校を卒業した時でした。両親も亡く、実家も敗戦後の困窮の中で必死になっていたので、10人兄...
今回のテーマは、正直なところむつかしい。普通に考えれば、聖人を連想してしまうからです。私は、人間みな本来、「神にかたどり、神に似せて造られた」(創世記1・26〜...
子どものとき、母のいない末っ子のわたしは、人の温かな愛情や優しさを経験したことがありませんでした。そのわたしが今はカトリックの神父として生きていられるのは、むろ...
人には無限の可能性がある、と言われたからといって、誰が信じるでしょうか。私はキリスト教のクラスで、人間の限りない偉大さを示すために聖書の言葉を引用します。旧約聖...
「古い自分」というのは、仏教の言葉でいえば、我執といっていいでしょう。本当の自分ではない、計らいや考えや欲望や感情に囚われて、これが自分だと思い込んでいる自我意...
せっかちな私は、即断即決で思いつくとすぐ行動するという癖がありました。しかし、そうした短兵急に物事に着手したことで、成功したことはあまりありませんでした。たとえ...
私は、長い間、ある大学で「人間学」という科目を担当してきました。人間学というのは、理窟っぽい言葉でいえば、人間とは何か、何のために生きるのか、どう生きるべきなの...
私の青春時代は戦争中で、受洗するまでは、暗黒時代といっても差し支えないと思います。終戦のときは、山奥の銅山で、空腹の中重労働をさせられていました。終戦で家に帰っ...
初めに結論を申し上げます。キリスト者の私にとって、復活とは完璧で完全な命の勝利であると思います。ところで、キリスト教でいう復活とは何でしょうか。復活とは、死んだ...
わたしは子どものときから性格が内向的でしたので、人生が虚しくつまらなく感じられて仕方がありませんでした。この傾向は、曇りや雨の日が多い東北に生まれ育ち、しかも両...