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老いるにも意味が・・・

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

わたしも後期高齢者になりました。若い時は、身体があまり丈夫でなかったけれど、定年の70歳まで一応元気で仕事ができたことは、大きな喜びでした。その後は、すべての職務から解放されて、まったく自由な身になりましたので、初めは不安でしたが、今は、個室でひとり静寂の中で、祈り、読書、パソコンでの著述、エフエムの音楽と、実に優雅で充実した時間を過ごせるのを感謝しています。静かで何もなく、ただ深く呼吸することができるのは、現世における至福のひと時ではないかと思います。そして、いつ神さまからの呼びかけがあっても、素直にそれに応えてゆくことができるような気がします。

老いるというのは、加齢にともない、心身が衰弱することを指していますが、わたしは、人間学の立場から、人間は魂と心と身体から成り立っている存在だと教えてきました。

その中で、加齢とともに衰えるのは、身体だけではないかと思います。けれども、この世では、身体と心が一つになっているので、身体の活発な動きができなくなると、自然に心も不活発になります。そのため、物忘れが進んだり、足腰が弱くなったりします。

しかし、この際、はっきり申し上げますが、わたしたちの魂は不滅の命を生きているので、衰弱や老化などはありません。そこで要は、魂の道具である精神や身体の機能を、いかに有効に鍛錬し、活用していくかどうかだと思います。

わたしの場合は、足腰の鍛錬のために室内で腰痛体操をし、祈りの一部として腹式呼吸をしながら座禅をし、午後は30分位散歩することを習慣にしています。そうすれば週3回ある講座を続けることが出来ます。

これも老いのお陰と感謝しています。