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心を開く

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

心を開くということは易しくないと思います。特に、人生経験の浅い若者は、大抵、潜在的に内心、他人と比べると劣っている面があるのによく気づきますから、自分の劣等感を隠すために、心をなかなか開かないものです。

わたし自身がそうでした。大勢の兄弟の中で育ちましたが、末っ子のわたしは、兄たちや姉にも心を閉ざしていました。心を閉ざすとは、どういうことかというと、自分の思い、気持ち、願望、計画など言わないということです。ですから、わたしが内心、孤独の中で、神様や聖マリア様に祈っていることは、同じ家に住んでいても誰も分かっていませんでした。こうした心を閉ざした孤独な思いが、どれほど無常感や寂寥感をわたし自身に与えていたかは、まわりの兄弟も学校の友人も誰ひとりとして、知りませんでした。これは、幼くして母親を亡くした境遇が関係しているのかもしれません。

それが、今のわたしのように、人一倍自己を語り、オープンに自分の意見や考え、感情や意志を他者に言葉で表現するようになったのは、学校を卒業し実家を離れ、他県にいる兄夫婦の家に身を寄せ、その町の教会に通い、洗礼を受け、同年代の青年男女と語り合い、交わりながら、教会の活動に積極的に参加するようになってからでした。

心を開いて他者と語り合うためには、少なからぬ勇気が要ります。わたしは秋田県出身で口が重い方です。反対にわたしの移った信州では、教育県だけあって、男女とも、割合気持ちや考えを自由に言葉にします。こうしたカルチャーショックを乗り越え、当たって砕けろの精神で、信州の人々としゃべるようになったので、今の自分があると思っています。