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友好

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

友好という言葉は、ふだんは国家間の政治的な関係のときによく使われます。それは国家間の利害が対立していても、表立って争わず、関係がうまくいっているように振る舞うことではないでしょうか。

わたしは神父なので、政治的なことはよく分かりませんし、人々の前で論じようともしません。宗教家は宗教家らしくあるべきだと考えているからです。しかし、宗教家は、直接、人々の魂の救済に関わっていますので、愛とか慈悲をこよなく大切にします。すると、当然のことながら、人々には温かな情愛や友情をもって接するように教え、諭しています。それには、まず自分自身が人々に対して、友好関係を結ぶように努めなければなりません。

そのためには、こういうことを心掛けています。

第一に、「来る者は拒まず、去る者は追わず」と割り切りながら、来られた人や出会った人々をあるがままに受け入れ、彼らの言い分に耳を傾け、是非善悪の判断をしないで、そのまま肯定し、理解するように努めています。

次に、個人的な好悪の感情を抑え、向き合っている人の本当の利益が何かを考えながら、適切な対話をするように心掛けます。褒めるときには褒め、慰めるときには慰め、諭すときには諭し、助言するときには助言をします。

道元禅師という方は、「愛語よく回天の力あることを学すべきなり」と修行僧たちに諭されました。愛や慈悲のこもった言葉は、天地をひっくり返すだけの力がある、という意味です。

人との間に友好な関係を結ぶには、言葉がきわめて大切です。と同時に、キリストが「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」といわれた言葉をも肝に銘じています。(マタイ10・16)