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友好

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

「どうしても苦手な人がいる」「どうしてこの人とは話が弾まないんだろう」というようなことで悩みまではしなくても、困ってしまうことはないだろうか。

特に男女の間で体験されることのような気がする。それは、男性が女性に、女性が男性に通じない言葉の使い方をしているからであろうか。どちらが良くて、どちらが悪いという問題ではない。脳の構造や心理的な特徴、社会的な慣習が影響しているといわれる。要するに、男女の間には根本的な違いがあるということであろう。

今ではあまり活用しないのかもしれないが、カーナビが発達する前は、ドライバー用に道路地図帳が重宝された。わたしの体験でもあるが、同乗者に女性が乗っているとき、その道路地図帳を読めないというのである。

つまり、1つのページから、指示されているページに移ると、まったく、道の繋がりがわからなくなるという。すなわち、東西南北が読めないというのである。そういえば、道案内をするとき、どちらかといえば、男性の方がわかりやすい説明をしているような気がしなくもない。

さて、男女間で、友達同士で「気持ちの通い合った」関係、「友好関係」が持てるものだろうか。お互いに摩擦なく交際し、交流が持てるものなのか。同性同士でも個性がある限り違いが出てくる。この違いは、ほんとうは対立する原因になるものではなく、人としての「豊かさ」のシンボルだと思う。同時にそれは、神の恵みの豊かさでもある。

この原点に戻るたびに、友好関係は深まっていくのではないか。何故って、お互いの違い、利害関係を超えて神が双方に働きかけるからである。