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旅立ち

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

わたしは、東北の小さな町に生まれ、育ちました。年中、曇りや雨が多く、冬は沢山の雪が降り、こたつに潜り込むような子どもでした。ですから、故郷から外の世界に出たことがありませんでした。

こうして高校卒業を迎えました。戦後間もなくの時代であり、お金も仕事もない有り様でしたから、信州で小さな出版社の社長をしていた兄から、仕事を手伝わないかと言われたときは、ふたつ返事で直ぐ行くと答えました。まだ寒い3月でしたが、初めて見る汽車の車窓からの景色が珍しく、長旅も苦にはなりませんでした。

日本海側から、アルプスの山々が聳える高原地帯に列車が入った途端に、わたしの心は歓喜に躍り、教会に通おうと決心しました。それまで、わたしは独りで祈り、読書などはしていましたが、教会に行って洗礼を受けようとはまったく考えませんでした。

それが、故郷を離れ、他県に移動した時に、教会に行って洗礼を受けようと思ったのは、わたし自身も不思議なぐらいです。でも、今思うと、しがらみのついた土地や故郷を離れたときに、言葉を変えれば、自由な身になった時に、神さまの恩寵が体験されたのではないかと思っています。

旅立ちとは、かつて旧約時代の太祖アブラハムが、神の導きに従い、生まれ故郷を離れて神が彼に約束された現在のパレスティナの地に向かったようなものなのでしょう。

旅とは、日常のしがらみを離れ、自由になって新しい土地の風景や気候や風物や人間模様を堪能する機会ではないでしょうか。旅はわたしたちをリフレッシュさせてくれます。

人生は旅に喩えられますが、わたしたちはやがて、みなこの世を離れ、神さまがいらっしゃる天国に旅立つのです。