そのいのちが母自身も知らぬ間に神の似姿として創られてゆくプロセスは神秘そのものです。やがて月満ちてこの世に誕生する時、それは命がけの旅立ちです。しかし胎児は狭い産道を通り、外の空気を吸って産声を上げます。無力な赤子は父母や周りの愛に育まれて幼児期を過ごします。
小学校入学もその子にとってはより広い社会への大きな旅立ちでしょう。「友だち百人できるかな?」と期待しつつ社会性を身につけて行きます。
やがて自我が芽生え、知性と感情のギャップに悩む思春期を経て成人し、親から独立の時を迎えます。
テレビの動物番組で、いのちを張って守った子を親は邪険に突き離して巣立ちを促します。人の世でも我が子の「巣立ち」・「旅立ち」は、晴れがましくも切ない情景です。
社会人となっても、転勤などで新しい環境に移らねばならないこともあるでしょう。定年を迎えて第二の人生に旅立つ人もいるでしょう。
『旅立ち』という言葉には、未知の世界への明るい希望と期待、チャレンジ精神などが感じられますが、不安も混じります。しかし神の変わらぬ慈しみを信じて祈れば、勇気を持って旅立つことが出来るでしょう。
最後に人生最大の「旅立ち」が待っています。
慈しみ深い神のいのちの懐に、喜びと平安、感謝の内に還れるように日々祈ります。