曾祖母は「ご隠居様」と呼ばれて、南向きの離れで、静かに暮らしていた。特に何をしてもらったという記憶はないが、幼い私が訪ねて行くと、大げさに驚いたふりをして迎え...
曾祖母は「ご隠居様」と呼ばれて、南向きの離れで、静かに暮らしていた。特に何をしてもらったという記憶はないが、幼い私が訪ねて行くと、大げさに驚いたふりをして迎え...
人生には、代表的な4つの苦しみがあるといわれます。生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみです。これらの苦は、何人といえども免れることができ...
教会の主日のミサに行くと、白髪をきれいに整え、前髪をピンで留めて、静かな佇まいの小柄なアサさんが席に座っている。私はときどき、アサさんの席の隣に座ることがある...
この人生を80年90年、そしてこの頃では100才を超える方々も稀ではありません。 この人生の大先輩ともいうべきこの方々から、わたし達が教えられることはけっし...
カルガモの親子がよちよち歩き、親ガモの後に子ガモたちがついてゆく。「子どもは親の背中を見て育つ」と言われますが、私たちはどの様に育ってきたのでしょう。親に限ら...
人間が判断するとき、どんな要素があるのかと考えることがあります。損するのに、あえてその道を選んだり、どうでもよいことなのに固執してしまうこともあります。自分の...
私たち夫婦の花見は、函館の五稜郭に始まり、北斗市の八郎沼、最後は南富良野の金山湖畔の桜で終わりました。東京の桜の開花から1か月遅い分、北国の桜は厳しい冬を乗り...
人の世は、どの国、地域、民族を問わず、縦割り社会を構成しています。その原型になるのが「家族」ではないでしょうか。 どの家にも、「家風」と言われるまではないに...
誰でも年老いていくと、体力が衰えます。耳は遠くなり、目はよく見えなくなり、手足は動かしづらくなるものです。さらに近年は認知症にかかる方も増えてきました。 し...
毎年、9月の第3月曜日が敬老の日。年長者を敬うのは、人間の美しい業の一つではないだろうか。年長者が大切にされている社会こそが、本当に成熟し、豊かであるのだと思...
私達の年代の人には、年長者を大切にするという精神は、何となく身についていると思います。 もっとも私は、後に洗礼を受けた時からは、父母、年長者を大切にする事を...
年長者の方々と接する時、質問される事の一つは、人生の意味です。「神父様、私は何故生きているのでしょうか」と問われます。子供さんが独立し、お1人で自宅や施設で生...
共に過ごした年長者といいますと、母と父を懐かしく思い出します。さらには恩師、仕事の大先輩、私の人生を支えて下さった沢山の恩人たち、思い出しても胸が熱くなる、あ...
家を建てて引っ越した時、同じように越してきたご近所10軒で生協の共同購入班を作りました。私たちは子育て真っ最中の若い主婦でした。週に1度配達される食品や日用雑...
ある夏の夕暮れ、夫と和食屋に行った。慣れない手つきでお茶を運ぶ若いウエイトレスがいた。 「お水を先に持って来ていただけますか。とても喉が渇いているの」と彼女...
わたしはいま、山口県の教会で、80代の神父たちと一緒に生活している。毎朝のミサは当番制で、当番でない神父は、当番の神父の両脇に立ってミサをする。80代の神父が...