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老いてなお・・・

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 曾祖母は「ご隠居様」と呼ばれて、南向きの離れで、静かに暮らしていた。特に何をしてもらったという記憶はないが、幼い私が訪ねて行くと、大げさに驚いたふりをして迎えてくれるのが嬉しかった。現役を退いて仕事はしないが、老いてなお敬われ、労られて、穏やかな日常であった。祖母たちも祖父たちもそれぞれ家族から大事にされていて、年長者を敬うことを、幼い頃から、私も自然に学んだのだと思っている。

 収入をもたらす人、役に立つ人だけを重んじるとしたら、それは自分の都合のために、人を利用しているだけのことになる。だが、働き終えた人を大事にする時、私たちは人生そのものに敬意を払っているのである。曾祖母もごく普通の人で、偉人でも何でもなかったが、家族は曾祖母を大切にした。それは、人が人生を最後まで生きるということに敬意を表したのだと思う。

 高齢者の時間は、季節で言えば冬のようなものではないだろうか。寒くて身体も動かしにくいが、冬がなければ四季とは言えない。人間も老いという時期を経験して、初めて人生が完成するようである。

 そして、最後に訪れる冬と、あらゆる生命が始まる春が隣り合わせになっているように、高齢になった人と幼い子どもは、並んで親しく心が通じ合う。どちらも大人たちとは違って、社会を支える仕事や立場から自由なので、話が合うのかもしれない。

 祖父母と孫が手をつないで歩く姿を見ると、ほっと暖かい気持になる。一人一人の寿命が尽きても、越えて続く時間があることを思い出させてくれるからだ。人は、人生という限られた時間を生きるのと同時に、永遠の一部を生きている。それを畏れとも喜びともしながら、人生を最後まで生きていきたいと思う。