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年長者と共に

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

 人の世は、どの国、地域、民族を問わず、縦割り社会を構成しています。その原型になるのが「家族」ではないでしょうか。

 どの家にも、「家風」と言われるまではないにしても、その家族ならではの「雰囲気」なるものはあります。そして、それは代々にわたって引き継がれていくのです。わざわざ意図しなくても、自ずと後世につながっていくものではないんでしょうか。

 そのつなぎ手として存在するのが、その時の年長者たちであります。時の流れの中で、年長者たちも世代交代していきます。何も家族だけではなく、会社でも、地域社会の中でも同じではないでしょうか。だからこそ、その時代の中で、尊敬に値する人たちなのでしょう。わが国にはそうした環境が、雰囲気があります。

 「敬老の日」はまさしく、人生の先輩を意識して思い、感謝し、敬意を払う日です。これまでの人生で、どれだけの年長者に会い、励みと刺激を受け、前に進んで来られたことでしょう。

 小学校時代の自分を思い起こしますと、忘れてはいけない方がいらっしゃいます。当時の長崎教区の山口愛次郎司教様です。わたしの父親の先輩でした。「自分の息子が神学校に行きたいといっていますがどんなものでしょうか」と司教様に聞きに行ったようです。

 司教様は一言、「子どもが言うんなら行かせろ」だったそうです。父親は内心反対だったのではないかと思いますが、司教様のことばに反論できなかったのでしょう。その年、入学できたのです。年長者の重みを感じます。

 その時あの時の一言、一押しが、その言動以上のエネルギーとなって相手の人に及びます。それが「年長者」ならではの財産であり、後輩たちへの鑑となっています。