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年長者と共に

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

 年長者の方々と接する時、質問される事の一つは、人生の意味です。「神父様、私は何故生きているのでしょうか」と問われます。子供さんが独立し、お1人で自宅や施設で生活される年長者の方々から、時々、そのような質問をされます。答えに窮していると、「早くお迎えが来るように祈っております」と畳みかけられたりします。確かに、子育てという自分の使命を果たし、耳や目が不自由になり、身体の自由も利かなくなる人生の晩年に、どんな生きる意味があるのだろうかと、誰もが問いかけたくなります。

 この問いかけに、答えるが如く、残されている美しい詩があります。上智大学学長も務められたことのある、ヘルマン・ホイヴェルス師の著書「人生の秋に」の中にあり、南ドイツの友人から贈られたと言われている「最上のわざ」という詩です。その詩の最後の方には、次のような件があります。「神は最後に一番良い仕事を残して下さる。それは祈りだ...。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。愛する全ての人の上に、神の恵みを求める為に...」。

 何と美しい詩でしょうか。私は、多くの年長の方々に、この詩をお伝えできたらと思います。若い頃のように働く事ができなくなっているかもしれません。この世にあってもう自分の役割は無くなっているのではないかと思える時があるかもしれません。けれども、私達には人生の最後の瞬間まで、使命があります。それは、他者の幸せの為に祈ることです。

 人生の晩年を、どのように過ごすべきか、という課題は、誰もが抱えている課題です。高齢化が進む日本社会の中で、人生の晩年をどのように過ごすべきかと悩んでいらっしゃる方々と共に歩んで行くことができたらと思う昨今です。