ある夏の夕暮れ、夫と和食屋に行った。慣れない手つきでお茶を運ぶ若いウエイトレスがいた。
「お水を先に持って来ていただけますか。とても喉が渇いているの」と彼女の目を見て笑顔で言うと、はっとした顔になり、友人を見るようなまなざしに変わって「はい」と言った。お水を持って来てくれたときに「ありがとう」と笑うと、嬉しそうにそっと笑った。
私が彼女を見るたびに「私、これでいいんだ」と、励ましを受けて自分を肯定したような幸せそうな顔になる。料理を持ってきたので「ありがとう」と言うとまた嬉しそうにした。
食事を終えた私たちのテーブルを片付けに来た時、「ごちそうさま」と言って彼女を見つめると、枯れそうになっていた花が、水をもらって頭を上げたようになった。何かが、内側からこの若い女性の養分になったのが私にもわかった。
目を見て笑いながら声をかけただけだ。だが、もう長い間、人としてそんな風に接してもらえなかったのだろうか。あるいは、アルバイトを始めたばかりで一つ一つのふるまいに自信がなかっただけなのか。内面の動きが、まるで手に取るように滲み出ていたこの女性が印象に強く残っている。
かつて私にも、自信がなくて人の目を見ることが出来ない時期があった。それでも大学生になるとドキドキしながらアルバイトを懸命にした。その気持ちを今も鮮明に覚えている。
幸い私はたくさんの優しい年長者に受け入れられ、励まされ、助けてもらった。もう、人の目を見ることが怖くはない。
私はいま50代。若い人たちにとっては十分に年長者だろう。彼らを温かい目で見つめ、力になる言葉がもし唇に上るなら、そうしたい。