この人生を80年90年、そしてこの頃では100才を超える方々も稀ではありません。
この人生の大先輩ともいうべきこの方々から、わたし達が教えられることはけっして少なくありませんね。たとえもの忘れがひどくなってきても、日常生活でそれまで出来ていたことが出来なくなって苛立ち、ときに癇癪を起こすことがあったりしようと。
神さまからいただいた「いのち」を長く生き抜いてこられたことの実りは、おひとりおひとり、じつに豊かなものでありましょう。
そのひとつが「ありのままを受け入れるこころ」ではないでしょうか。
よくあちこちの研修会、黙想会で「ありのままの自分を受け入れることの大切さ」を説かれます。ありのままの自分を受け入れないで、どうして他者のありのままをうけいれられるだろうか、と。
ところがこれは意外に難しいのです。「ありのままのわたし」と言いながら、無意識にこうあってほしいわたし、をイメージしてしまう。わたしの中の、どの「わたし」が本当のわたしなのか、それがわかれば、悟りの境地、聖人の域ですね。
でも、超高齢の、年長の方たちと接していて、とつぜん目が開かれるときがあります。
それまで難なく出来ていたことが、人の手を借りなくては一日も過ごせなくなった時、愕然としながらも、やがてそれを素直に受け入れ、ありがとう、と心から感謝の思いを伝えることが出来るようになった方の言葉。
「わたしひとりではなにもできません。わたしを支えてくださるすべての方にお任せします。神さまのなさることはすべてよく、神さまのよさに信頼します」と。
年長者に学びたいものです。