ホッとするとき

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

 ホッとするとき、ってどんなときでしょう。

 私がすぐに思いつくのは、ひと仕事すませた後のカフェでの一杯。あとは、お風呂でのんびりお湯に浸かっているときなどでしょうね。

 けれども、「ゼイタクよ、そんなの。節約なさい。家でコーヒーを煎れた方が安上がりだし落ち着くし」と親友はけん制しますが、私には、街角のごくふつうのカフェで一杯のコーヒーを飲みながら、ぼおうっとしていたり、ゆっくり手紙を書いたりする時間が、何よりかえがたいくつろぎタイムなのです。

 ほんとに家で自分でコーヒーを煎れ、リビングのテーブルで読んだり書いたりもできますのに。

 なぜか、街角のカフェに腰をおろしてぼんやりしながら熱いコーヒーを啜る・・・のが至福のとき、となるとまさに「時の変容」!

 自分の家というのは、それなりに自分が女主人として維持、管理する責任があるわけで、のんびりしながらでも、目に入る散らかっている所を片付け始めたり、あるいは片付けなきゃ、と背中を小突かれる気分になり、けっこう落ち着かないのです。

 それが、カフェではどこかに人の目があり、人々の中にいる適度の緊張感はあり、でも、ひとりだけの静かな時間が流れている。

 そんなとき、ふいに思わぬアイデアがやってきて、あわててメモを取ったりします。不思議ですね。

 それは図書館でも、公共のフリー・スペースでもいいようなものですが、また微妙に違うのです、私の場合。

 自分の内側に深く深く沈んでゆく、その一番奥底で出会う父なる神さま、「ゆっくりしてていいよ」と言ってくださる。

 運ばれて来た熱いコーヒー。後片付けもしなくてよい。そんな贅沢な時間を、ときには自分自身にプレゼントしましょう。

 私が私に優しくしてあげられるときなのです。

ホッとするとき

橋本 勲 神父

今日の心の糧イメージ

 諸宗教者の集まりでのこと、食事中の雑談の中で、あるお坊さんがこんなことを言われたのです。

 「あの世という所は、そこから誰も帰ってきた者がいないところをみると、よっぽどいい所なんでしょうね」と。

 このことばに触れて、食事の席がにわかに和んだことは言うまでもありません。

 「なるほどその見方はいいネタになりますね。ぜひそのネタ譲ってください」。

 こんな発言もあって、この世あの世、ひいては人間の死という重いテーマでありながら、実に和やかなホッとするひとときが生まれ、料理の味わいも大いに進んだというわけです。

 

 「みんな死にたくないと口では言うけれど、本音のところではそうではないのでは。歳を取るごとに時間が早くなり、急ぎ足になるところをみると、釣りバカと言われる人が急いで釣り場に急ぐように、一刻も早く墓に行きたいんだよ人間は」。

 これもホッとするいいネタです。

  

 「何時お迎えが来るのか、急に気になって眠れません」。

 真夜中近く電話してきたおばあちゃんに、こんな分かったような返事をしてしまいました。

 「おばあちゃん、心配いらないよ。昔気付いてみれば立派に生まれていたでしょう。生まれる時も死ぬ時も同じ。お迎えの時も、あれ!りっぱに死んでるじゃないの、知らなかった!ということになるから」。

 神父さんは他人事と思って冗談ばかり言う~~、などとひとときおしゃべりしたのでした。

 こんな重いテーマを前にして、ホッとするひと時を提供できたかどうかはわかりません。

 生まれに寄り添う「助産師」ということばはありますが、死に寄り添う「助死師」ということばはないようです。そこで、「ホッと屋」などどうかと思うこの頃です。


前の2件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11