コーヒーが大好きで、淹れ方にも凝っている男性がいる。或る日、友人たちを招き、夕食後にご自慢のコーヒーを淹れて皆で楽しんだ。彼がすっかり満足して、「僕はコーヒーさえあれば、もう他には何もいらないんだ」と言ったので、友人たちは笑った。彼がその台詞とは反対に、仕事も資産もあり余るほど持っていて、それらを決して手放さないことを、友人たちはよく知っていたのである。
一日の終わりに、一杯のコーヒーを飲んでホッとする時、その人が味わっているのはコーヒーだけだろうか。もちろん人によっては、ジョッキに溢れるビールやお燗をした日本酒かもしれない。だがどの飲み物にせよ、人々はその時、一日が無事に過ごせたこと、仕事を終えたことの喜びを味わい、自分をねぎらっているのである。不平不満もあるが、それも生きていればこそだ。生きている幸福を実感しているのである。
仕事の緊張から自由になり、ホッとしている時間はいいものだ。そんな時に、忙しく働いている間は忘れている大事なことを思い出すことがある。昔お世話になった人、入院している友人、遠くに住む祖父母のこと・・。幸福は自分独りで手に入れたのではない、いろいろな人が自分に贈ってくれたのだと気づく。そして、今度は、自分も誰かに贈ろうという気持ちになるのである。
コーヒー好きの男性も、気がつけばよかったのだ。彼にとって最も大事なものは、集まってくれる友人なのだということに。友人と飲むから、そこに幸福があり、一杯のコーヒーが美味しいのだということに。