今から30年以上も前のこと。時のローマ法王、ヨハネ・パウロ二世の噂話は耳にしていました。何やらすごい人が日本に来るらしい、と。実際、テレビの映像を通してこの目で見ると、空港に降り立ってから、日本の大地に接吻する姿や、障がいをもつ方々へのやさしいふるまいなどが見えてきました。
まだ、洗礼を受けていなかった私は、「こんな人が教会の頂点にいれば、カトリックの洗礼を受ける人が増えるだろうね」と母に話したのを覚えています。その後、程なくして私は洗礼を受けるのですが、これは、私の心が開かれたひと時だったのかもしれません。
ところで、聖書には、イエスさまと出会って、心が開かれた人の話がいくつかあります。例えば、本人の背が低かったために、イエスさまを一目見ようと木に登ってしまったザアカイの話や、人目を避ける事情を持ち、昼頃にこっそりと水をくみに来たサマリアの女性の話、重い皮膚病を患い、大声で助けを求めた人たちや、生まれつき目の見えない人が、これまた大声でイエスさまに呼びかけた話などなどです。
これらの人たちは、イエスさまと出会って、心が開かれ、自分の置かれている状況を素直に見つめられるようになり、それまでとは違って、新しい生き方を選んでいきます。病や障がいを背負っていた人たちは、その病や障がいが取り除かれていきます。
イエスさまとの出会いは、出会う人たちを変えていく出会いです。出会う人たちのありのままの姿を受け入れ、彼らの心を開き、そして、この人たちを新しい生き方へと変えていく出会いです。
そして、このような人の心を開く出会いは、現代の日本でも起こり得ます。イエスさまとの出会いは、単なる過去の出来事なのではなく、現代にも起こる出来事なのです。