大きな仕事をなし終えたとき、先ずは「終わった」と感じます。記念イベントなどの場合は、後片付けなどもあり、すぐに落ち着いた、安心した時を堪能する暇は、これまでなかったように思います。
また、カトリック教会の暦の中で、以前から、四旬節は重苦しい期間だったなという印象がありました。落ち込んでしまっていたのかなと思いますが、・・。つまり、ダメだったこと、いけなかったことを思いだすと、きりがありません。
ところが、復活祭を迎えますと、一瞬にして明るく、気分も晴れやかになります。祭壇には多くの花々が生けられ、それまでの重苦しさから解放されたような気分です。肩の荷をおろしてホッとします。外見的な雰囲気に影響されやすいですね。
身体的に安らぎを得られることが、現実的には、なににもまして大事だなと感じている自分があります。それが普通なんじゃないのといわれるとそうですが、よく考えてみますと、心が落ち着いて安心できていることが、一番「ホッとできる」最大の要因になっていることに気づかされます。みなさんはいかがでしょうか。
また、主の復活祭が春に訪れるということも、自然界の明るさと華やかさにマッチして、人の心までも穏やかになっていくのでしょう。
わたしは、日頃から思っていることがあります。人の成長は、「緊張しているとき」また、「ホッとしているとき」になされるのではないかということです。緊張しっぱなしではいけませんが、適度な緊張感はプラスになると思っています。それをさらに高めてくれるのが、ホッとする時です。この繰り返しが人の人生でもあるような気がします。
わたしたちには、ひたすら前に進む道だけが準備されています。