先日、ドイツの総統ヒトラーが唯一恐れていたフォン・ガーレン司教の伝記を読んだ。
ヒトラーの命令により、ナチはお年寄りや障がいをもった人を連れ去り、「安楽死」作戦を実行していた。
そのことを公然とカトリック教会の説教で何度も非難したのが、フォン・ガーレン司教である。この司教の横顔の写真を見て、愛のために信念を曲げない父という印象をもった。が、ある時、その司教の正面の顔を見た。このような顔はめったにない凄まじい顔だった。まさに、別名「ミュンスターのライオン」と呼ばれるのは当然だと納得した。いくぶんライオンのほうが穏やかな顔だとさえ思った。この司教の説教は教会から教会へと伝わり、ポーランドまでも届いた。
この説教を手に入れたのは、のちに教皇となるカルロ・ボイティワ神学生だった。この説教を印刷し、彼は反ナチの地下活動を行った。
カルロが司祭の道を歩むきっかけとなったのは父の死だった。父の遺体の前で祈り、司祭になる決心をした。天涯孤独となったカルロは、フォン・ガーレン司教に父の姿を重ねたのかも知れない。若いカルロ神学生は、先の見えない反ナチ運動の中にあって、ガーレン司教が不屈の魂を持って弱い人を守る、その背中に父を見て、幼な子のようにホッとするときがあったのではないだろうか。
ヒトラーの側近はフォン・ガーレン司教の殺害を進言したが、ヒトラーはそれを実行することはなかった。
カルロ神学生は司祭になり、教皇ヨハネ・パウロ二世となったとき、ガーレン司教の墓所を訪ねている。フォン・ガーレン司教から受け継いだ不屈の魂は、ヨハネ・パウロ二世に、人類の父となる決心を促したのではないだろうか。