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ホッとするとき

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 人は幸せを求めて旅をしています。山あり谷ありの旅ですが、疲れては泉のほとりでホッとしたとき、何故か再び元気を取り戻し、また長い旅を続けます。ホッとすると、人は何故、元気になるのでしょう?

 私自身の場合、日常生活で、どんな時にホッとするかを考えてみますと、周囲の人間関係での不信感が解消した場合とか、罪悪感や、劣等感、混乱感、絶望感などが見事に消えて、明るい希望や望む知恵や友情、愛をしみじみと体感した時等、心底、ホッとします。

 さて一日が終わり、暖かく心地よい自分の布団に入り込んだ時の安堵感は一段と深いものがあります。いつも考えるのですが、この就眠直前の安堵感は一体、どこから生まれてくるのだろうと。奇妙な解釈かもしれませんが、長い人生の旅が終わり、いよいよあの世に旅立つ時、この就眠時の安堵感があるような気がします。気が付いたら天国だ、となれば良いのですが、もし恐ろしい場所だったら嫌だなあ、とも思います。しかし、私には、あの就眠時の安堵感の意味は、どうも天国への旅立ちに勇気を与えて下さる神様からのシグナルではないか、と勝手に解釈しているのです。

 洗礼を受けた17才からの習慣からか、寝る時、「心も体もみ手にゆだねます。父と子と聖霊のみ名によって」だけは何故か真面目に祈ります。余程、愛である神様にしか頼れない自分の成育史があるのでしょう。まだまだ生きている間にやり遂げたい夢が沢山ありますので、大きなエネルギーが欲しい私です。

 人の身体は神の神殿と言われています。人は不安感や怒り、混乱感があると、健全な心身を保持するのは不可能ですので、何とか「ホッとするとき」で生き抜ける人生でありますよう神様に祈る毎日です。