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ホッとするとき

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 少し前、私は「バラの騎士」というシュトラウスの名曲を指揮しました。

 この作曲家の驚くべき才能によって、冒頭から、旋律が奔流のように溢れ、躍動し、私達をめくるめく世界へ連れ去るのです。

 ところで私は、この曲のスコアを読んでいるうちに、気がついた事がありました。私を引きつけるこの魅力的な音の動きは、なかなか自分が何調であるかを明かさないのです。というのは、始まって数小節のところから、そのカギとなるドレミファソの「ソ」の音が現れ、あとは、この音を巡って華麗この上ない音楽が繰り広げられ、やっと、私達が心ひそかに待望していた「ド」の音に落ち着くのは実に、スコアの11ページに至っての事なのです。

 さて、この「ソ」という音を聴いていると、「ド」の音を聴きたくなると言われても、ちょっと分かりにくいかも知れませんね。

 では、これならどうでしょう。妻が私にこう言ったとします。

 「あなた、今日のお昼、うどんがいい?おそばがいい?」。そうしたら私は、「じゃ、うどんにして貰おうかな」とか選択できて、この件は落ち着くわけです。

 ところがもし、妻が「今日、夕食を」としか言わなかったとしますと、私は妻の言いたいことが分からず、ことによると、愛情まで疑うような場合もあるかも知れません。目的語までで述語を聞かないと、私達の心は落ち着かないわけで、先ほどの、「ソ」の音は、次に「ド」が来ると、私達の心にそうだろそうだろというホッとした気持ちが生まれるようなのです。

 私達がなかなか大変なこの世での生活を、神様の援けを借りながら歩み通せたなら、またその結果、神様にまみえる時が来たなら、その時、私達はどんなにホッとする事でしょう。