わたしのクリスマス

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 私のクリスマスは10代から今日まで、何故か、いつも同じ課題を思索しています。「自分は何の為に生きているのか」と。しかし、同じ課題でも青春時代と今は、その内容は大分変化しています。

 毎年、美味しい料理、友情や愛をしみじみと感じさせるクリスマスという点では同じですが、その楽しい最中に、大災害や暴動、テロなどのニュースが流れると神様って本当にいるのかなあ、と暗い気分になります。そんな不安や怒り、希望のない人生を垣間見るクリスマスもあれば、元気いっぱい目標に向かい爽やかに元気に張り切っている高齢の人々のニュースに触れると私も元気になります。

 良いニュース、悪いニュースを聞くたびに「人は何の為にこの世に生まれてきたのか」を益々考えてしまいます。

 さて、ここ数年の私のクリスマスはちょっと変ってきました。

 何故か私は1人書斎に閉じこもり、青春時代の写真を静かに見ながら我が人生を反省しているのです。70代後半からの不思議な行動です。人生の貸借対照表を作成しているようです。60代を超えますと、心と体に停滞感と絶望感が生まれてくるという学説があり、それをどう乗り越えていくかが、その世代の生き甲斐のようです。「61才から死までは自我統合の時代」とエリクソンという学者が言っていますが、生理的に生まれてくる絶望感をどう乗り越えるかが問われているわけです。それぞれの年代での生きる希望の内容は、青春時代の希望とも違いますし、長い人生での罪の意識、孤独感、愛の姿も違います。

 愛である全知全能の神様は、私に何かを悟らせようとしておられるようです。あまり自虐的に反省しないで、もっと大きな信頼感を持つように、と神様は囁いておられるようです。

わたしのクリスマス

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

 毎年、必ずクリスマスの季節がやって来て、12月25日にはイエスさまのご降誕をお祝いします。わたし達の救いのために、神のおん子がお生まれになったーーと意識することなくても、全世界でメリー・クリスマス!と祝われるその日その夜。

 人生にもそれぞれの季節があり、そのときどきのクリスマスが巡ってきますね。家族でなごやかに祝うクリスマス。恋人とのふたりきりのクリスマス・イヴ。ひとりひっそりと過ごす静かなクリスマス。

 あの年は12月25日が平日ではなく、週末にかかっていました。

 土・日といえば観光地のホテルやレストラン、飲食店はかき入れ時。「ちょっとミサに行ってきます」と言って、その仕事場を抜け出すことは出来ません。日曜日のミサに与ることさえ難しいというのに。

 

 あきらめてはいたものの、洗い場でお皿を洗いながら、(ああ、もうミサが始まる時間だわ・・今ごろはローソクを灯して聖歌が歌われて・・・)と、美しく荘厳なミサの情景が思われてなりませんでした。

 その数日後、仕事場に向かう途中、ひとり祈りたくて、街中の教会に入ったわたしに、お年寄りのシスターが近づいてこられ、にっこり会釈をしてくださいました。その包み込むような笑顔に心がほどけ、クリスマスのミサにも与れなかった辛さを打ち明けてしまったのです。

 シスターはじっと耳を傾けてくださると、「ご聖体を頂きたいでしょう?ちょっとお祈りしながら待っていらしてね」と。そして、祭壇の聖ひつからご聖体を取って拝領させてくださったのです。なんという贈り物!

 行きたくともミサに行けないたくさんの人々を思う、もう遠い日の出来事となった忘れられないクリスマスです。


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