ふと見ると、学校帰りの高校生と思われる生徒たちが歩いていきます。多感な時期を過ごしている彼らは、きっと心深くに故郷がずたずたに破壊された姿を刻んでいくのだろうと思いました。決して消えることのない記憶です。
そんなある日、街の中を、自転車をこぎながら、私はクリスマスの歌を口ずさんでいるのに気づきました。冬でもなく、クリスマスの季節でもないのに、です。ガレキが残る街の中で、独り、クリスマスソングを口ずさんでいるのです。
初めは、少しおかしいな、と思いましたが、次第にそれが続くようになり、ついには、これはきっと、自分の心が何とかバランスを取ろうとしているのだ、と思うようになりました。おそらく、同じような体験を被災された方々は経験してきているのでしょう。
そのうち、こう考えるようになりました。季節に関係なく、イエスさまの誕生を祝う気持ちをもっていいのだ、そして、その気持ちがあれば、いつでもクリスマスになるのだ、と。実際、クリスマスとは、イエスさまの誕生を祝うだけでなく、イエスさまを自分自身が受け入れることでもあるからです。
今年もクリスマスがやってきます。実はこれこそが、季節に左右されない密かな私のクリスマスの祝い方なのです。