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わたしのクリスマス

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 数年前のクリスマスイブの夕方、わたしは右膝の十字靭帯を切り、医師に安静を言い渡された。クリスマスは、幼な子イエスのご誕生を祝う大きな喜びの日だった。しかしその晩は、ひとりぼっちで先行き不安な日となってしまった。

 部屋には幼な子イエスを飾っていた。いつしかわたしは、幼な子イエスがこの世に生まれるまでのことを辿っていた。

 マリアは大工のヨセフと婚約していた。おとめマリアに天使が現れ、神のおん独り子を身ごもることを承諾する時、マリアは1人で考え、「はい」と決断する。婚約者のヨセフは、マリアが身ごもっているのを知った時、苦しんだ。すると夢に天使が現れて、「マリアは聖霊によって神さまのおん子を宿された」と告げたので、ヨセフの深い霧は晴れた。

 しばらくして、ローマ皇帝アウグストゥスは、自分の全領土に人口調査を命じたため、マリアはヨセフとともにベツレヘムへと旅立つ。およそ120キロの旅だ。ベツレヘムに着くなり、マリアは産気づくが、どの宿屋も満員。馬小屋のみが空いていた。マリアは貧しい場所でイエスを産む。赤ん坊が生まれて幸せに包まれるのは束の間で、間もなく天使がヨセフの夢に現れ、「ヘロデ王が2歳以下の男の子を殺そうとしている」と告げられ、エジプトに逃避する。

 マリアとヨセフの人生は、イエスの母、イエスの養父となることを承諾した時から、富や名誉などから遠ざかっていく。すべてこの世的なものは取り去られていくのだ。最後に残るのは何だろう?

 愛そのものである幼な子イエス。

 赤ん坊のイエスだけはわたしを見捨てない。おさな子イエスを、「抱っこしてもいいですよ」と、マリアとヨセフの穏やかな声を聴く思いがした。