わたしが目指している道は

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

 わたしたちは皆、「わが道」を決め、それに向かって進んで行こうとしているのではないかと思います。誰でもそうだと思いますが、若い頃は張り切り過ぎて、理想の高いところで目標を設定してしまいます。ところが、いろいろな「邪魔もの」が出没しては、その道が妨げられるのです。これまた、誰もが経験しているのでは。

 司祭職、それは「奉仕職」です。自分の置かれた子どもの頃の環境では、見た目にも魅力的な司祭の姿がありました。いざ自らを振り返って、「魅力的に映っているか」と自分自身に問うてみることがあります。

 「わが道」に躓きを感じたとき、人それぞれに、その対処法に違いがあるかと思います。そもそも、「わが道」を選択した動機、きっかけはどうだったかなと、その原点に戻ります。そうしますと、当初描いた場とは、かけ離れた環境に今の自分がいることに気づかされてしまいます。それが悪いというのではなく、むしろ、成長した自分がそこにあるんだ、ということに目覚めなければいけないのでしょう。そこで、目標を再設定していくのです。

 つまり、もっと現実味を帯びた道が、今置かれている環境の中で着実に、ゆっくりと進められていくのです。

 得てして人間は、他人がしていることを告発することに躍起になってしまうことがあるのではないでしょうか。それにより、自らをつぶさに見つめることをおろそかにしてしまいがちです。

 「わが道」の本来の原点は、イエスが言われます。

「仕えられるためではなく、仕えるためである」と。(マタイ20・28)

自然に親しむ

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 留守番をする猫のためのDVDがある。飼い主が出かけた後、画面に流しておくと、室内でひとりぼっちになる猫のストレスがやわらぐらしい。木の枝を走るリスや飛ぶ蝶々、水辺で遊ぶ小鳥たちなどの映像を猫はとても喜ぶ。つい夢中になって、画面を叩いたり、小動物が動く方向へ、自分もジャンプしてしまったりもする。その様子を見ると、人間の家で生まれ育つ猫も、実は、野生の生きものだったのだと改めて思わされる。

 私たち人間も、本来は自然の生きもの、自然の一部なのではないだろうか。大自然は時に、人間の生命を脅かすが、それでも私たちは、透き通った海や晴れ渡る空、小鳥の囀りや川のせせらぎを心地よく、美しいと感じている。仕事に疲れ、人間関係に悩む時など、自然の美しさに触れると、いるべき場所に戻ったかのように、心が癒やされる。

 都会を離れ、山や森の中を歩くのは、休日の楽しみだ。煩わしさを忘れ、心を澄ませていると、木々のあいだから、静かな声が聞こえてくるかもしれない。

 「あなたは誰?」

 それは、踏み込んできた闖入者に驚く生きものたちの声のようでもあり、身勝手で傲慢な人間を穏やかに諫める光の声のようでもある。「あなたは誰?」それは、私たち人間を裸にする問いかけだ。自然の中で、人は人間社会の装備を解き、虚栄を捨てて裸になれる。その時、どんな自分自身に出会えるだろう。

 樹齢千年の大木の前で、一瞬の命である羽虫の前でさえも、私たちは小さな存在だ。だが、小さな自分たちが一体誰なのか、求めて止まない生きものでもある。静かな声は問い続けてくれるだろうか。願いを込めて、耳と心を澄ませていたいと思う。


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