わたしたちは皆、「わが道」を決め、それに向かって進んで行こうとしているのではないかと思います。誰でもそうだと思いますが、若い頃は張り切り過ぎて、理想の高いところで目標を設定してしまいます。ところが、いろいろな「邪魔もの」が出没しては、その道が妨げられるのです。これまた、誰もが経験しているのでは。
司祭職、それは「奉仕職」です。自分の置かれた子どもの頃の環境では、見た目にも魅力的な司祭の姿がありました。いざ自らを振り返って、「魅力的に映っているか」と自分自身に問うてみることがあります。
「わが道」に躓きを感じたとき、人それぞれに、その対処法に違いがあるかと思います。そもそも、「わが道」を選択した動機、きっかけはどうだったかなと、その原点に戻ります。そうしますと、当初描いた場とは、かけ離れた環境に今の自分がいることに気づかされてしまいます。それが悪いというのではなく、むしろ、成長した自分がそこにあるんだ、ということに目覚めなければいけないのでしょう。そこで、目標を再設定していくのです。
つまり、もっと現実味を帯びた道が、今置かれている環境の中で着実に、ゆっくりと進められていくのです。
得てして人間は、他人がしていることを告発することに躍起になってしまうことがあるのではないでしょうか。それにより、自らをつぶさに見つめることをおろそかにしてしまいがちです。
「わが道」の本来の原点は、イエスが言われます。
「仕えられるためではなく、仕えるためである」と。(マタイ20・28)