わんぱくな子どもだったわたしは、幼稚園の頃、先生に叱られて教室の外に出されてしまうことがよくあった。何が理由だったかはよく覚えていないのだが、きっと大騒ぎをして先生の言うことを聞かなかったのだろう。しょげて教室の外に立っていると、ときどき園長先生が見つけて声をかけてくれることがあった。幼稚園を経営する神社の神主も兼ねている、白髪で温厚なやさしい園長先生だ。園長先生は、いつでもわたしに、自分のよいところを思い出させるような声かけをしてくれた。
「きみは、このあいだとてもよい工作を作ったじゃないか。先生に謝って、中に入れてもらいなさい。」そんな風に声をかけられると、園長先生がそんなことを覚えていてくれたことがまずうれしかったし、自分にもよいところがあるということを思い出して自信を取り戻すことができた。わたしの素行はなかなかよくならなかったようだが、園長先生に支えられて何とか幼稚園を卒園することができた。
わたしは、どんな困難なことがあっても、「だいじょうぶ、必ずなんとかなる」とすぐに思える楽天的な性格だ。根拠がないのにそう思えるのは、きっと子どもの頃にそういう育てられ方をしたからだろうと思う。
「自分なんか駄目だ。生きている価値がない」などと自暴自棄になりかけても、子どもの頃に園長先生がかけてくれた言葉が心のどこかに残っていて、「自分にも必ずいいところがある。きっとなんとかなる」と思えるようになるのだ。わたしたちは、自分の悪いところばかりみてしまって、よいところになかなか気づくことができない。
互いのよさを認めあい、互いの価値を確かめ合えるような、そんな声掛けを大切にしたい。