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ある人の一言

服部 剛

今日の心の糧イメージ

 私にとって、洗礼の恵みと導きを象徴する出来事は、幼稚園生の頃に担任をしてくださったI先生と、大人になって再会したことです。

 I先生は子どもたちを想う心が笑顔から伝わる方でした。秀でたところのなかった私ですが、I先生からみると、他の子どもと異なる点が一つあったそうです。それは好奇心旺盛で、あらゆることに関心をもっては「先生、なぜ〇〇なの?」「どうして◎◎になるの?」と質問することが多かった、とのことでした。I先生は私の母に「剛君は、何かを感じとる心をもっていますね」と、常々伝えてくださったことを、今も母は記憶しています。

 幼稚園を卒業後、私は平凡な学生生活を送っていましたが、その間も母は、時折I先生の言葉を思い出しては「あなたには何か一つ、長所があるみたいよ」と語り続けてくれました。

 社会に出てからは不器用な自分の性格に悩むことも多かったのですが、うつむいてしまいそうな夜でも「自分には何か良いところがある」というI先生からのメッセージを思い出すことが、心の奥で支えになっていました。

 33歳の時、私は洗礼を受け、数年後に結婚、生まれた息子はダウン症児でした。共に生きる日々の悩みと歓びを詩とエッセイで綴り、『カトリック新聞』に連載していただいていました。ある日のこと、旅先で私の携帯電話が鳴り、「剛君、覚えていますか?」と懐かしい声。連載を読んでいたI先生でした。「実は私もカトリック信徒です。私が思っていた通りの人になりましたね」と語る言葉から、静かな歓びが伝わってきました。

 40歳を過ぎた今も、子どもの頃にI先生が教えてくれたことは私を励まし、これからもその言葉は心の中で生きてゆくでしょう。