老いてなお・・・

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 曾祖母は「ご隠居様」と呼ばれて、南向きの離れで、静かに暮らしていた。特に何をしてもらったという記憶はないが、幼い私が訪ねて行くと、大げさに驚いたふりをして迎えてくれるのが嬉しかった。現役を退いて仕事はしないが、老いてなお敬われ、労られて、穏やかな日常であった。祖母たちも祖父たちもそれぞれ家族から大事にされていて、年長者を敬うことを、幼い頃から、私も自然に学んだのだと思っている。

 収入をもたらす人、役に立つ人だけを重んじるとしたら、それは自分の都合のために、人を利用しているだけのことになる。だが、働き終えた人を大事にする時、私たちは人生そのものに敬意を払っているのである。曾祖母もごく普通の人で、偉人でも何でもなかったが、家族は曾祖母を大切にした。それは、人が人生を最後まで生きるということに敬意を表したのだと思う。

 高齢者の時間は、季節で言えば冬のようなものではないだろうか。寒くて身体も動かしにくいが、冬がなければ四季とは言えない。人間も老いという時期を経験して、初めて人生が完成するようである。

 そして、最後に訪れる冬と、あらゆる生命が始まる春が隣り合わせになっているように、高齢になった人と幼い子どもは、並んで親しく心が通じ合う。どちらも大人たちとは違って、社会を支える仕事や立場から自由なので、話が合うのかもしれない。

 祖父母と孫が手をつないで歩く姿を見ると、ほっと暖かい気持になる。一人一人の寿命が尽きても、越えて続く時間があることを思い出させてくれるからだ。人は、人生という限られた時間を生きるのと同時に、永遠の一部を生きている。それを畏れとも喜びともしながら、人生を最後まで生きていきたいと思う。

老いてなお・・・

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 人生には、代表的な4つの苦しみがあるといわれます。生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみです。これらの苦は、何人といえども免れることができません。それで、いかにして人生の苦から救われることができるかを求めて、宗教というものが発達してきました。

 私自身にとっても、老いの衰え、弱さ、不自由などは嫌というほど経験しています。私の入信の動機も苦しみからの解放でした。しかし考えてみれば、いかに辛い、苦しいといっても、今ここで生きているわけですから、その現実をあるがままに受け入れていくしかありません。それをどう考え、どう受け止めるかによって、生き方が変わっていきます。

 今の私は、80歳を越えて、いかに生きるべきかを日々模索しているところです。

 まず良いと思ったことは直ぐに実行することにしています。たとえば、老年になっての重要な課題は、いかにして健康を保つかです。神さまは人がみな元気で幸せに生きることを望んでおられますから、必要な手立ては人それぞれに与えられていると思います。

 身体の健康のためには、私は規則正しい生活を心がけます。朝、6時半に起床したら、洗面の後、簡単な冷水摩擦、軽い室内体操、腰掛坐禅、ミサの奉献、それから朝食、食事はバランスよく栄養を取り、腹8分にする。食事の後は、読書、Eメール、ワープロ執筆、教会の祈りをする。昼食の後は、新聞を読み、20分ぐらいの昼寝、30分から1時間以内の散歩、入浴、そして仕事を続ける。夕食は家か外でする。外に行くのは、広い意味で宣教・伝道を考えているからです。夜はテレビなどでくつろぎ、10時半にはベッドに入り、7時間の睡眠を取る。

 信仰生活と仕事が、今の私の健康の基になっています。


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