『今日の』祈り

村田 佳代子

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 マルコによる福音書の「成長する種」と「からし種」のたとえ話は、多くの教えを含んでいます。イエズスさまは神の国のたとえとして話されたのですし、話の聞き手にあわせ、どういうたとえを用いるか考えてお話になったと聖書には書いてあります。

 「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」(マルコ4・26~27)「・・どんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり・・」。(同4・31~32)茎が伸び最後に実を結ぶまでを知っているのは土だけだということでしょうか。

 勿論実際に農業に携わる人は植物の成長について知り尽くしているでしょうが、謙虚に日常を振り返れば、天候不順の不安や害虫駆除の苦労など、ハプニングに見舞われ通しであったと思い至り、植物の成長を全て知っていたのは土だけだったと気付くはずです。そして良い芽が出てくるようにと願い、成長を見守り、今日こそという節目節目に適切な手入れをしてこそ、見事な収穫が得られたのだと思います。

 ところで、大抵人は知らず知らずのうちに何かを祈ります。まして信仰を持っている人は、就寝前の祈りは1日の反省も込めて忘れることは無いでしょうし、折々の祈りも習慣になっています。

 でも、長い人生の中では今日だけは特別な見守りや救いをと祈りたい日があるものです。重い病気、大きな不幸や悲しみ、受験や結婚のような人生の岐路では「今日の」祈りに全てを込めます。

 この時忘れてはならないのは、その祈りがあくまでも「神様のみ旨に沿う覚悟なのでお望みの道をお示し下さい」という信仰告白であることです。

 丁度節目の農作業に心を込めながらも全てを土に委ねる農夫のように。

『今日の』祈り

小川 靖忠 神父

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 朝の祈り、食前・食後の祈り、お告げの祈り、夕の祈り等、1日のうちで時間が決められ、とても大事にされていたのが神学校での日課でした。100人余りの中高生が共同生活をしながら、それぞれの個人的な目標も成しとげていったものです。

 小神学校入学が、病気のために1か月遅れたわたしにとって、当時の最大の苦しみの一つは、「英語」の授業でした。極度の辛さが続きますと、すべてが嫌になってきます。解らないということは、教科もさることながら、授業そのものがまったく面白く、楽しくなくなるのです。

 この時には祈りました。願いました。「解らせてください」と。学習を諦めることにではなく、「祈る」ことに逃げたのです。そうしますと、勉強法にも工夫を凝らすことができるようになったのです。

 「急がば回れ」といいます。何か物事をするとき、時間や手間がかかっても、安全で確実な方法をとったほうが、結局は早いというたとえですが、この時、まさにそうだなという体験をし、実感しました。

 「祈り」は、なんとなく祈るというのではなく、その時の生活の一瞬一瞬に合った内容が、その人の心の叫びとして神のもとにたどりつくのではないでしょうか。だから、祈りは抽象的であってはいけないのです。あくまでも具体的で、詳細であることが望ましいと、この時の体験を踏まえて思ったものです。

 そのような祈りを一言でいうならば、「射祷」です。わたしたち一人ひとりが違っているように、祈りの中身も異なります。「わたしだけ」の祈りが、しかも「今日の」祈りがあるのではないでしょうか。神はその違いを今日、しっかりと受け止めてくださいます。


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