『今日の』祈り

遠山 満 神父

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 数年前、不眠症に罹りました。夜中の2時、ないし3時頃に目が覚め、お手洗いに行き、再び床についても眠れないのです。

 心の中には、嫌悪感を抱いている人との出来事が蘇り、怒りで自分が支配されておりました。再び眠るように努力してはみましたが、そのトラウマ的な記憶は、私の心の中に居座って出て行ってくれませんでした。最終的に、頭の中に浮かんでくる人達の為に祈ることによって、心の中に平和を頂くことができました。

 イエス様が、仰いました。「敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさい」。(マタイ5・44)また、次のようにも仰いました。「立って祈る時、誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい」。(マルコ11・25)使徒の一人、パウロも次のように言っています。「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔に隙を与えてはなりません」。(エフェソ4・26~27)

 結局、敵を愛し迫害する人の為に祈るのは、自分自身の為でもあるのだと考えるようになりました。何故なら、その人達の為に祈ることによって、私自身が心に平和を頂くようになったからです。

 敵、それは主に攻撃してくる人達ですが、その人達は、愛情を誰かに求めているが故に、そのような行動に出ているのかもしれません。

 何故、敵の為、迫害する人の為に祈るのかに関して、その根拠をイエス様は、「天の父の子となる為である」と言われました。(マタイ5・45)「天の父の子」となれるとは何と素晴らしい未来でしょうか。

 それゆえ、誰か、恨みに思っている人が脳裏に浮かんで来たら、今日の内に、その人の為に祈るようにしています。

『今日の』祈り

黒岩 英臣

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 私達は日々、身の回りに起きる様々な波紋に対応しながら生活しています。波紋は起きるだけではなく、起こすこともあります。

 例えば私は先ほど、指揮のレッスンの日取りを変更してほしい旨のハガキを、2人の弟子に出しました。

 2人といっても、そこにピアニスト2人も一緒に来てもらう関係上、合計44人、それに私とで総勢5人の予定を合わせなくてはならないので、なかなか大変です。

 この由々しい事態を引き起こしたのは、「誕生祝いの予約、しといたからねー」との、息子の一言でした。我が家では、家族の誕生日が近いことから、こうして1回にまとめて祝っているのです。それがたまたま私のレッスンとぶつかった訳なのですが、そこは父親たる私、堂々と「よしっ、レッスンをお断りしよう!」と、あらぬ方角へ事を決着させてしまいました。

 こんな風に、毎日というものは、そうそう決められた通りにだけ進められるわけではありませんよね。今の話は、私のせいだったのですが・・。

 しかし、そういう言わば横波のような揺れをかぶりながらも、私達は毎日の生活を、何とか一定の方向性を感じられるように送っているとも言えるでしょう。

 そしてこの事は、私達の心根が、教会の年間を通じての祈りと、つまり神様が讃えられますように、そのみ旨が成就しますようにとの願いと一致していることを示していると思うのです。

 その上で、個人としても「今日の」祈りとして、「主よ、あなたが讃えられるためには、まず私が改心しなければなりません、助けて下さい」と祈ると共に、「あそこの美味しい料理を食べに行かせて下さい」と祈るのも、私たちと神との親しさではないでしょうか。


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