2019年01月17日の心の糧

『今日の』祈り

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ  キリスト教の信者が毎日唱える祈りに「主の祈り」があります。これは、イエスが弟子たちに残した大切な祈りです。『ルカによる福音書』によると、弟子たちから頼まれて、イエスはこの祈りを弟子たちに教えたとされています。(11・1)

 この祈りの中に、「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」(11・3)という一文があります。キリストを信じる人たちは、毎日毎日、この祈りを「今日の」祈りとして捧げているわけです。

 イエスの時代、多くの貧しい人たちにとって、「今日の」糧に恵まれなかったことも多々あったことと思います。そんな状況の中で、この祈りは、実に切実な祈りであっただろうと想像できます。そして、長い間、貧しい人たちにとっては、心からの祈りとなっていったことでしょう。

 現代世界においても、食物に恵まれない多くの貧しい人たちにとって、この祈りは切実な祈りとなっていることと思います。

 幸い、日ごとの糧に恵まれている人にとっては、この祈りはあまり重みを感じない祈りになっているかもしれません。しかしながら、この祈りを、その日の糧に恵まれない貧しい人々と共に、心を合わせて祈ることによって、自らの糧を他の人々と分かち合う心が生まれて来るのではないでしょうか。

 「今日の」祈りとして捧げる主の祈り、特に、「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」という祈りを通して、分かち合いの心、隣人愛の心を「今日も」呼び覚ましていくのだと私は思います。

 このように「主の祈り」は、神さまと私だけがつながる祈りではなく、周りの人に目を向けるようにと促してくれる大切な祈りなのです。私たちの心が開かれ、多くの人たちと「日ごとの糧を」分かち合うことができますように。

2019年01月16日の心の糧

『今日の』祈り

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ  或る作家が、重い病に倒れた時のことをエッセイに書いている。身体も動かせなくなった彼は、1年間の日付が当たり前のように印刷してあるカレンダーが腹立たしくてならなかったそうだ。自分にはもう未来がないと感じていたからである。彼はカレンダーを日めくりに変えた。今日という日があることだけを示す日めくりなら、彼は信じることが出来た。彼はその日1日生きたことを自分に言い聞かせ、1日の終わりに、日めくりを1枚ずつ破った。そうして、彼は少しづつ回復していった。

 私たちは健康でいる間は、今日1日を生きていることを当たり前に思っている。それどころか、この先も元気に活動できることを前提に、将来の計画を立てたり、長期にわたる仕事を始めたりする。

 だがもし、この作家のように、突然倒れ、社会生活を奪われたらどうだろう。今日という日は、全く別の意味を持ってくるに違いない。

 私たちは祈るということを知っている。祈りの習慣を持たない人でも、朝、目が覚めて、今日も頑張ろうと思ったり、よき1日であれと願ったりするものだ。それもその人なりの、1日の最初の祈りであるように思う。

 けれども、今日1日が特別に与えられた恵みであると気がついたなら、その人の朝の祈りは、喜びと感謝の祈りになることだろう。悩みや困難な問題を抱えていても、それは、今生きているからこそ抱えられるのである。

 「今日の」祈りとは、「今日を祈る」祈りではないだろうか。生かされていることを喜び感謝する祈り、そして悩みや困難は必ず乗り越えられると、私たちは回復していくと信じる祈りなのであると思う。


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