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『今日の』祈り

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 先日、友人と行った土佐湾の、快晴の青空と紺碧の水平線を180度見渡せるカフェで見た、素晴らしい絶景とその奇抜な設計に感嘆し、とっさに言葉にならない祈りを胸の奥で繰り返していた。

 超多忙な彼女が、時間を割いてその場所に案内してくれたことへの感謝と、降り注ぐ陽光に主の祝福を感じて「刻よ、止まれ!」と念じつつ、喜びと感謝に満たされて祈り続けた。

 反対に私自身や家族、友人達がどうしようもない困難に陥った時も、救いを求めてこの祈りをそっと唱えている。すると心が軽くなり、解放された気持ちになる。信じて委ね切れば守られるのだ。

 この不思議な祈りは、専業主婦の私がニュースキャスターに引っ張り出されて初日を迎えた前夜、不安に耐えきれず祈り始めた時、不意に私の胸の奥から迸りでてきたのである。テレビニュースの仕事は我が身を視聴者にさらしての生放送で、極限の重圧がある。しかし天を仰いでこの祈りをすると、心臓は緊張で飛び出しそうなのに、心の奥は平静でリラックスできる事を体験した。

 後に、それは聖パウロが手紙で言っている「異言」を語ることのようだと思った。(参:1コリント14章)英語では「タングツイスト・プレイヤー」と言うように、舌を転がして意味の分からない音声を歌うように発するその祈りは、まるで野の小鳥になって無心にさえずっているようだ。悩みは消えて軽やかに空を飛び回る気分である。

 要するに「父と子と聖霊」への賛美と感謝の信仰宣言、生きて働かれる聖霊とのコミュニケーションの、直通110番のようなものかと思う。「イエス様 愛します。助けて下さい!今来て下さい!あなたに委ねます!この方に祝福を」という私の射祷なのかとも思うのである。