その後、人間関係で困難なことを抱えたときや、阪神淡路大震災で救援本部を立ち上げるという困難な使命を受けたとき、また、人の悩みを聞いてどうしてよいか分からなくなったとき、そして、出会った人の幸せを思うとき、この祈りが自然と出てくるようになりました。
最近になって考えます。それは、特に私が苦しいとき、怒ったとき、悲しいとき、意味がわからなくなったとき、それでもそこに同伴するイエスが佇んでいると思い浮かべることが、どれほど大切かと言うことです。
イエスを意識できること、それも無意識の時でも心の奥底にイエスの居場所を設けていると、人生を生きる土台が見えてくる、その営みが祈りなのではないのかと思うのです。
「イエスの祈り」を唱えるとき、私に「あなたは孤独ではない」と言い続けるイエスが見えてくるのです。