この場面を想いながら「お祈り」について考えてみましょう。カルメル会の聖人イエスの聖テレジアは、「祈りとは、自分が神から愛されていることを知りつつ、その神とただ2人だけでたびたび交わす友情の親密な交換にほかなりません。」と語ります。
先程のお母さんと子どもとの会話を、神さまと自分に置き換えれば「お祈り」とは何か、解りやすいかも知れません。子どもは、見えなくても、そこに大切なお母さんがいると解ってお話しますから、私たちも、見えなくてもそこに神様がおられると意識して祈りましょう。
では、どう祈りましょうか。子どもとお母さんとの会話の様に、私たちも今必要なことを神様に祈り、願われてはと思います。花のことを考えてみましょう。摘んだばかりの花は、瑞々しく素敵ですね。その様に今日のこと、今のこと、旬の出来事、願いごとを祈られては如何でしょうか。
しかし言葉を出そうとしても、言葉にならないこともあるでしょう。お母さんがその様な子どもを受け止める様に、神様も受け止めて下さいます。言葉だけでなく、私たちの想いや願いを向けるのも祈りです。神への感謝・賛美とともに、神に心を向けてしばし祈りの時を過ごしてみませんか。
「祈りは、新しい心のいのちであり、わたしたちは、いつも祈りを通して活力を得なければなりません」と、祈りの必要を教会は常に力説していますが、祈りには、様々な形があります。
まず、声を出して唱える祈り、2番目は声を出さない「黙想」あるいは「黙祷」、そして3番目に、適宜、しばしば、心の中で念じ唱える「念祷」というのがあります。
「念祷」とは何か? 聖テレジアは「私の考えは、念祷とは、私を愛しておられる神としばしば語り合う、友愛の親密な交わり」と答えています。念祷は信仰の暗闇にとどまることをも受け入れており、多くの人々にいのちをもたらし、愛の交わりとなっています。
また「射祷」という祈りもあります。「射祷」の「射」は、弓を「射る」などのイルの字を使い、短い祈りを射るように唱えるものです。いつ、どこでも、思いが浮かんだときに、心の中でも、口に出してでも唱える事ができます。たとえば「主よ、来てください」とか、「わが神、わが主よ」、あるいは、「み旨のままに」とか、「聖霊来てください」といった祈りです。
この短い祈り、射祷を大いに生かし、神のみ旨に応えたいものであります。