ある人が「大切な人に手紙を書きます」と答えて、なるほどと感じ入りました。手紙なら、普段面と向かって言えなかったことも言えそうですし、繰り返し読んでもらえます。
私たちも死を目前にして、もし手紙を書くことができれば、きっと家族や愛する人たちに、真心をこめて文字を綴るでしょう。
その手紙は思いのつまった長いものになるでしょうが、あえて短い言葉に置き換えるとどうなるか想像してみました。
「おかげで幸せな人生でした。本当にありがとう」という感謝。「ごめんなさい」という謝罪。「大好きです」「幸せを祈っています」という愛の表明かもしれません。
もしこのような言葉なら、死の直前を待たなくても良さそうです。今日しか時間がないとすれば、今日伝えたほうが良い言葉もあるはずです。
祈りもそうです。特別な日を待たなくてもいいのです。今日は、人生において2度とない時間、またとないチャンスです。
神様は、「ありがとう」「ごめんなさい」「大好きです」「祈ります」など、ご自分に向けた率直な言葉を待っておられるでしょう。そして、まわりの人のためにも、今日できる祈りを今日捧げてほしいと願っていらっしゃるように思います。
イエス様が、仰いました。「敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさい」。(マタイ5・44)また、次のようにも仰いました。「立って祈る時、誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい」。(マルコ11・25)使徒の一人、パウロも次のように言っています。「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔に隙を与えてはなりません」。(エフェソ4・26~27)
結局、敵を愛し迫害する人の為に祈るのは、自分自身の為でもあるのだと考えるようになりました。何故なら、その人達の為に祈ることによって、私自身が心に平和を頂くようになったからです。
敵、それは主に攻撃してくる人達ですが、その人達は、愛情を誰かに求めているが故に、そのような行動に出ているのかもしれません。
何故、敵の為、迫害する人の為に祈るのかに関して、その根拠をイエス様は、「天の父の子となる為である」と言われました。(マタイ5・45)「天の父の子」となれるとは何と素晴らしい未来でしょうか。
それゆえ、誰か、恨みに思っている人が脳裏に浮かんで来たら、今日の内に、その人の為に祈るようにしています。