『今日の』祈り

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 人生は、一瞬、一瞬、この「今の一瞬」の積み重ね。そこに、目に見えない繊細な感情が働き、喜びや苦しみ、悲しみの人生模様が描かれていきます。

  マスメディアの目覚ましい発展と共に、毎日の出来事、いや、刻々発生する多様な事件・出来事が、即刻報道されますが、その事件、出来事には、必ず、悲しみを誘う重大事を伴っており、人々の心を不安に駆り立てるとともに、祈りの心が自ずと込み上げてきます。

 「祈りは、新しい心のいのちであり、わたしたちは、いつも祈りを通して活力を得なければなりません」と、祈りの必要を教会は常に力説していますが、祈りには、様々な形があります。

 まず、声を出して唱える祈り、2番目は声を出さない「黙想」あるいは「黙祷」、そして3番目に、適宜、しばしば、心の中で念じ唱える「念祷」というのがあります。

 「念祷」とは何か? 聖テレジアは「私の考えは、念祷とは、私を愛しておられる神としばしば語り合う、友愛の親密な交わり」と答えています。念祷は信仰の暗闇にとどまることをも受け入れており、多くの人々にいのちをもたらし、愛の交わりとなっています。

 また「射祷」という祈りもあります。「射祷」の「射」は、弓を「射る」などのイルの字を使い、短い祈りを射るように唱えるものです。いつ、どこでも、思いが浮かんだときに、心の中でも、口に出してでも唱える事ができます。たとえば「主よ、来てください」とか、「わが神、わが主よ」、あるいは、「み旨のままに」とか、「聖霊来てください」といった祈りです。

 この短い祈り、射祷を大いに生かし、神のみ旨に応えたいものであります。

『今日の』祈り

中井 俊已

今日の心の糧イメージ

 死という人生のゴールは、不意にやってくることがあります。

 生死の境目で、あと1日だけでも生きたいと願いながら亡くなった方々の無念さを考えると、今日、こうして生きていられるのは、実は、幸いで有難いことだと思えます。

 以前、ある学校の教員研修会で講師を任されたときのこと。テーマが「いのちの大切さ」だったので、「もしこの世でいのちがあと3日だったら、あなたは何をしますか?」と尋ねて発表してもらったことがあります。

 ある人が「大切な人に手紙を書きます」と答えて、なるほどと感じ入りました。手紙なら、普段面と向かって言えなかったことも言えそうですし、繰り返し読んでもらえます。

 私たちも死を目前にして、もし手紙を書くことができれば、きっと家族や愛する人たちに、真心をこめて文字を綴るでしょう。

 その手紙は思いのつまった長いものになるでしょうが、あえて短い言葉に置き換えるとどうなるか想像してみました。

 「おかげで幸せな人生でした。本当にありがとう」という感謝。「ごめんなさい」という謝罪。「大好きです」「幸せを祈っています」という愛の表明かもしれません。

 もしこのような言葉なら、死の直前を待たなくても良さそうです。今日しか時間がないとすれば、今日伝えたほうが良い言葉もあるはずです。

 祈りもそうです。特別な日を待たなくてもいいのです。今日は、人生において2度とない時間、またとないチャンスです。

 神様は、「ありがとう」「ごめんなさい」「大好きです」「祈ります」など、ご自分に向けた率直な言葉を待っておられるでしょう。そして、まわりの人のためにも、今日できる祈りを今日捧げてほしいと願っていらっしゃるように思います。


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