『今日の』祈り

片柳 弘史 神父

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 朝のミサを終えた後、わたしは聖堂に戻って5分ほど静かに祈ることにしている。今日一日に果たすべき使命を思い巡らし、そのために必要な力を神に願うためだ。

 幼稚園の子どもたちに、今日も神様の愛を伝えられますように。刑務所の受刑者たちの心に、今日も希望の光をともせますように。教会に集う人々の、心の支えになれますように、などと祈っていって、最後はいつも「今日果たすべき使命を、精いっぱい果たすことができますように」と締めくくる。

 先のことまで心配して祈り始めればきりがない。教会が抱えている様々な問題のこと、自分自身のこれからのことなど、気がかりなことはいくらでもある。だが、あまり先のことまでは考えないようにしている。「今日一日、自分にできる限りのことを精一杯にしていれば、必ず道は開ける。神様が一番よい道を準備して下さる」と確信しているからだ。実際、どんなに先のことを考えたとしても、わたしたちが実際に変えられるのは今日だけだ。今日という日が積み重なって、未来を作ってゆく。先のことを心配するために今日を使ってしまい、今日すべきことをしなければ、未来はいつまでたってもやって来ない。わたしは、そう考えることにしている。

 「明日のことまで思い悩むな。その日の苦労は、その日だけで十分である」と、イエス・キリストは言っている。(マタイ6・34)一日一日を精一杯に生きていれば、先のことは必ず神様がなんとかしてくださる。何も心配する必要などない、ということだ。先のことは神様の手に委ね、今日一日にすべてをかけて、与えられた使命を精一杯に果たしてゆく。それが、わたしたちにできる最善のことであり、一番幸せな生き方なのではないだろうか。

『今日の』祈り

服部 剛

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 昨年7月、私は旅先の京都で初めて心のともしび運動本部を訪問しました。

 その面談中に〈射祷〉という祈りに話が及んだのです。

 反射の〈射〉に祈祷の〈祷〉と書いて射祷と読みますが、じっと座ることのみが祈りではなく、日常のなかで瞬間に深い感覚を生きる、それ自体も祈りであるというものです。

 さらに、次のような話もありました。

「祈るとき、誰かの顔を具体的に思い出すと、心に〈ありがとう〉という言葉が湧いてきます。また、神様に親しみをもって〈○○していただけますか?〉と話しかけると、日常で働く神様の計らいが引き出されるという経験があった」というのです。

 旅の後、心の何処かで射祷について考え続けていましたが、徐々に〈瞬間を生きる〉時間が増してきたように思います。もちろん教会で静かに座って祈ることは大事ですが、私自身は「いつ・どこにいてもそこが祈りの場である」という感覚が性に合っているようです。

 例えば、一日の予定にA・B・Cという選択肢があるとして、〈Aを行う〉予定でも、流れに応じて〈Bを行おう〉と選択が変わることもあり、どの場面においても〈自分の心のなかで落ち着きのある、深い促しは何か?〉と問いかけ、捉えること、その意識を養うのが射祷という祈りそのものを生きる秘訣かもしれません。

 ある神父様が教えて下さった、『詩編』139を開くと「唇に言葉がのぼる前に、神よ、あなたは全てを知っておられる」と記されていました。その言葉を読み、姿の無い神様の気配を感じる私は、〈今・この瞬間を生きよう〉と、心のなかで呟いています。


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