『今日の』祈り

服部 剛

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 昨年7月、私は旅先の京都で初めて心のともしび運動本部を訪問しました。

 その面談中に〈射祷〉という祈りに話が及んだのです。

 反射の〈射〉に祈祷の〈祷〉と書いて射祷と読みますが、じっと座ることのみが祈りではなく、日常のなかで瞬間に深い感覚を生きる、それ自体も祈りであるというものです。

 さらに、次のような話もありました。

「祈るとき、誰かの顔を具体的に思い出すと、心に〈ありがとう〉という言葉が湧いてきます。また、神様に親しみをもって〈○○していただけますか?〉と話しかけると、日常で働く神様の計らいが引き出されるという経験があった」というのです。

 旅の後、心の何処かで射祷について考え続けていましたが、徐々に〈瞬間を生きる〉時間が増してきたように思います。もちろん教会で静かに座って祈ることは大事ですが、私自身は「いつ・どこにいてもそこが祈りの場である」という感覚が性に合っているようです。

 例えば、一日の予定にA・B・Cという選択肢があるとして、〈Aを行う〉予定でも、流れに応じて〈Bを行おう〉と選択が変わることもあり、どの場面においても〈自分の心のなかで落ち着きのある、深い促しは何か?〉と問いかけ、捉えること、その意識を養うのが射祷という祈りそのものを生きる秘訣かもしれません。

 ある神父様が教えて下さった、『詩編』139を開くと「唇に言葉がのぼる前に、神よ、あなたは全てを知っておられる」と記されていました。その言葉を読み、姿の無い神様の気配を感じる私は、〈今・この瞬間を生きよう〉と、心のなかで呟いています。

『今日の』祈り

小林 陽子

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 いつでも「祈り」は、そして「祈る人」のすがたは美しいものだと思います。

 修道院の聖堂で、ひとりのシスターが一心に祈っていらっしゃる姿に感動したのは小学校6年生のとき。その修道院の日曜学校で、はじめてイエス様のお話を聞いたのです。

 修道院では、毎日、早朝のミサの前に唱える「朝の祈り」のなかで、シスター方に祈りを頼まれた、その1人ひとりの方々の為に祈りを捧げます。

 それぞれお名前をあげて「ご病気の○○さんが一日も早く回復なさいますように」とか、「今日、大きな手術をなさる○○さんに良い結果を」など、具体的にていねいに祈ります。

 「シスター、お祈りお願いします!」と、最後のよりどころ、というように修道院に駆け込む方の信頼に応えて。

 

 シスター方全員が心を合わせて、祈ってくださると思うだけでも嬉しく、心があかるく希望がわいてくるでしょうね。

 もうひとつ、感激したのは、M神父さまの、朝いちばんのお祈りのお話です。

 「神父さま、学校に行く前は、ごはんを食べなきゃならないし、遅刻しないように慌てて家を出たりして、ゆっくり朝の祈りをしているヒマはないんですよね。どうしたらいいですか?」と訊いたのは、ある中学生。

 神父さまがおっしゃるには、「ぼくは朝起きたら、まず窓を開けて、神さま、お早うございます!とごあいさつする。4秒だよ、4秒」そうか。4秒でいいんですね。

 新しい1日の始まる朝の光のなかで、神さまに、「お早うございます!」と呼びかける、それもステキな祈りではありませんか。

 その続きは電車の中でもバスを待っているときでも、どうぞ。

 今日いちにちが神さまのみこころにかないますように。あるいは秘密の願い事でも・・・。


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