2016年10月31日の心の糧

豊かな心を養う

シスター菊地 多嘉子

今日の心の糧イメージ 春らんまんのある日、幼稚園の園児たちが三々五々母親に伴われて帰って行きます。そのとき、門のそばの桜の大木を見上げていた園児が、嬉しげに叫びました。「ママ、見て。見て。桜がきれい!」すると、先を行っていた母親が振り向いて答えたのです。「何をぐずぐずしているの、ほら、水溜りで靴がよごれたでしょ。」桜の花を見上げて感嘆する幼子と、地面をみつめて濡れた靴を気にする母親・・・。もし、わが子の傍に戻って、「まあ、ほんとうにきれいね。風で散ってくる花びらを拾って、よく見てごらん。1枚1枚がおんなじようで、でも違うのよ。」などと応えることができたなら!

もう1組の母と幼子、それは、パリのルーブル美術館で目にした姿です。珍しく閑散とした館内で、1人の母親が1枚1枚の絵をじっとみつめています。そばに寄り添っている幼子は一言も口にせず、母親と全く同じように画面から目を離さずにみつめているのです。静まり返った館内を、靴音も立てずに歩き、心ゆくまで名画を鑑賞する母と子。幼子がこの画家たちについて知るのは、ずっと後になってからでしょう。けれども、今、母親の姿から、すぐれた芸術に接する心構えと、その作品が語りかける声なき声に耳を傾ける大切さを学んでいたに違いありません。

大自然や芸術の美を感じる繊細な心の人は、神様と人々の愛をすなおに受け入れ、それに応えることを知っています。また、人々の苦しみや悲しみに共感し、助けたいと願うのも、このような心の持ち主なのです。

わが子が胎内にやどった時から、豊かな心を育むように召されている母親に替わりうるものが他にあるでしょうか。

2016年10月29日の心の糧

豊かな心を養う

シスター渡辺 和子

今日の心の糧イメージ 私たちの修道院は、大学内の建物の1つの4階にあります。したがって出勤する時、修道院に戻る時には、小さなエレベーターを使います。そんなある日、ふと、気がつきました。

私は、目指す階のボタンを押してから、すぐ隣の指で「閉」というボタンを押している。エレベーターは、壊れていない限り、階数だけ押せば、自然にドアが閉まり、目的階へ行くはずではないか。

そこで、秒数が表示される時計で計ってみたところ、このエレベーターは、4秒で扉がしまり、目的階に着きました。その日、私は、自分が1人で乗る時は、目的階のボタンだけ押して、後は待とうと、小さい決心を立てたのです。

「4秒なんて、どこかで、すぐに経ってしまうのに」と、教えてくれる人もいます。本当にそうかも知れません。でも、私は待つのです。それは、「4秒すら待てない」人間になりたくないからなのです。忙しさに負けて、自分の心を亡ぼし、貧しくしないために、せめて1日に2度でもいい、修道院と学校との往復に、自分を「待たせる」ことによって、心にゆとりを持ちたいのです。

時間に追われる自分でなく、時間の主人としての自分として、心を落ち着かせたいのです。エレベーターに乗っている間に、アベ・マリアを唱えることもできます。出会う人たちへの笑顔も用意できるのです。

豊かな心はお金では買えません。心を豊かにするためには、ほんの数秒でいい、自分が自分を見つめる時間を必要とします。世の中は日に日に便利になっています。そのかげで私たちが失いかけている心の豊かさは、こうした日々の小さな出来事の積み重ねでしか、養われないのではないでしょうか。


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