失敗が許されない環境では、人は大きく成長することができないものです。
教員と生徒、親と子など、おおらかさは、これからを生きる人たちの個性を伸ばす上で大切な資質でしょう。
また、友人関係でもおおらかな人に巡り合えることは幸せです。
私の友人の中にもそういう人がいます。彼女は困っている人には夜中であっても朝早くても電話に出て、相手が満足するまで話を聞きます。たとえ、病人の看病で疲れ切っている時でもそうします。
私たちは、自分を守ることに力を使っている時、おおらかにはなれません。
おおらかな人、寛大な人は、損をすることをあまり気にしません。神さまがいつも私たちを愛し、支えてくれているとわかっているので、損得を心配せずに他者に心を向けることが出来るのでしょう。
たとえば、聖書に出てくる「よいサマリア人」(ルカ10・25~37)もそうです。彼は仕事に向かう途中、道端で瀕死の人をみつけ、ロバから降りて宿屋に連れていきました。それはごく自然な行為だったのです。
「おおらかさ」は神への信頼から生まれるものなのだと思います。